誰が誰に、何をしてどうなった

ソレに対して反応しすぎになった。



知らなくても済んでたことを

知らされるハメになったことを

私たちは後悔してるのだろうか



楽しんでいるのだろうか

楽しんでいるのか?本当に。



イイものを行きすぎたものを

つくりすぎたんじゃないか。

イイものや行きすぎたものを

受け入れすぎたんじゃないか。



誰にどうやってジャッジしてもらうと

私たちは冷静になって全体を

自己分析できるのだろうか。



ネット記事はホントに騒ぎを

大きくするだけの装置だ。



人間はその数だけ意見がある。

可視化されなかっただけで。

その意見を一つ取り上げることで

それが正しいと思い込む。



メディア発の意見と私たちは

一心同体ではないので。



同体化してしまいそうになってる

いまの現状はおかしいんですよね。



ホントはそういう意見もあるし

逆にこういう意見もあるよな。

それを認めるのが大まかにいえば

多様性とボンヤリ繋がっている。



でもどっちかに決めすぎる傾向。

あまり考えずに片方に寄っていく。



自分たちで選択肢を狭めすぎて

ツラくならないか?と思えない。



どっちかに決めたがる傾向で

急かされているように感じる。



どっちにも人がいてもいい状況を

壊してしまうことにも気づかない。



出る記事あがるネタに即反応して

自分の第一印象でのみ応対してしまう。

その一方にだけ寄っていく。



別の視点が多すぎても

考えるのもめんどくさくなって

どれかひとつでいいから

とにかく結論は何?って

なってないかい?と。



考えるのもめんどくさくなって

うまく乗りこなすことだけ考えて

ラクに有利に自分だけ進めれば。



そもそも人間はね、自分はこう思う

ってときは大抵アピール強めなんで

大げさに反応している可能性が高い。



ということは、大げさになった物事を

マジメに聞き、対処すべきと思わされ

マジメに対応して対策を立てて実行。



ってなると、結果的に大げさ指数を

高めに設定してしまっていても

なんら不思議でない。その繰り返し。

あらゆる方面でコレないですか?笑



どんどん大げさ果汁が上がって

今度は濃縮してどんどん濃いものを

刺激を欲しがるようになっていく。



だからどんどん窮屈になっていく。

精神的な窮屈さ、制約の大きさ。

窮屈にしていくんですよ、無意識に。



それに対して私たちはストレスを感じる。

でも条件反射のようにやめられない。

一方に流れる勢いに逆らえない。



溜まりに溜まって、ネットで吐き出す。

そのときはスッキリですよね。

でもわかってるでしょ、自分でも。



吐き出したものが、まわりまわって

自分で飲み込むように戻ってきてる。



君らは牛なのか?いや牛以上だ。

牛を体内の外でやるなんて

もう牛を超えてる。さすが人間だ笑



マキをくべてほくそ笑んでるメディア。

現実問題として苦しくなるのは自分自身。

メディアの家畜なんだろうか。



そして同調圧力などでさらにとなると

日本人いつまでヘタこくんだ?って。

こんなにも日本人って弱いんだな。



弱いというのは、歯向かわないから。

操作しやすい、信じやすい。

考えたくない、スッとこなしたいから

どうするか決めてくれよ、従うからと。



いざとなるとゼロか百かになる。

そのさじ加減がうまくない。

というか、やろうとしないだけ。



そうなったらなったで窮屈な中

どう快適にしようかと考える。



逆だ。窮屈を受け止めず

選択肢を残しておくことを

あえて意識しなければならない。



アクセル踏んで、ブレーキかけて。

交互にやりながら進むのが一番いい。



両にらみにしながら両方に人がいる

それを想像しなければならない。



日本はアクセル踏まない状態で

AT車がゆっくり進むような現象を

さも仕方ないと受け入れて進むだけ。



ここまではみんな実感していてね。

こっから先なんですよ、ずっと。



課題はわかっているけど

動かす権限がある領域に入ると

アレをつけて、コレを守って

その上でできるなら勝手にどうぞ?

ってくるんですよね。



やりたいなら全部こなした上で

ルールの中でやってみそ?(古い笑)



これでは下や後ろは

進むに進めないだけ。

前や上でどんどん詰まっていく。

後ろや下はつまらなくなる

逆にね。



でもって進まなくても大丈夫な層が

上でのさばるだけで、彼らは

やってはいるんですよ、でもなかなか。

その繰り返しで濁してばかり。



本気で変えなきゃヤバイとは

思ってないんでしょうね。

安泰なポジションにいると。



難問は手をつけないでスルー。

それで上に行けてキープできるから。



だから民間で押し通すくらいの

その熱で全体を動かすくらいの

うねりに変えて動かすしかない。



そういう旗頭が出てこないし

出たとしても政界に行ったらダメ。

外であえてやるから意味がある。



中入ると手玉に取られて

相手ペースに引き込まれるだけ。



中ではアレはダメ、コレもダメ。

ルールがあるから、というだけ。

世界から笑われても見下されても。

ルールはルールと井の中の蛙。



私たちの意識はこのままでは

劇的に変わることはないだろう。



ストレスを吐き出してはループ。

そのエネルギーを別の方向に

変換させる機会を欲しているのに。



何事もリスクを取り払わないと

誰もゼロからは攻めこまない。



みんな有利になってから

じゃ自分もやるよと

ダチョウ倶楽部。



ホントはやらなきゃダメと

わかっていても日々の生活、仕事で

自分のことで精一杯になって

アレもコレもやるなんてムリだと。



そうやって先送りしてきたから

いまがある。このヘタレな現実が。

いつ誰が逆に舵を切るかだろう。



その人についていって流れを

つくって世代が変わってようやく。

その頃には私たちはもう居ない。



居ないとしてもやっとかないと。

歴史上、何も為さない時代として

歴代の教科書にすら載らない。

それもまた人生なのだろうか。