以前なにかで見たか聞いたか。

野球とサッカーについて。



日本にサッカーが先に根付いてたら

いまの日本とは違う社会になった?

みたいな話。



これは背景にある文化が根付くとき

そのトレンドがアメリカか欧州か。



極端にいうと、どっちになったかで

日本人の考え方が変わって

社会も違う形になっていたかも?

っていう話だろうと思うんです。



野球をよくよく考えると

役割がハッキリしているから

日本人にスッと馴染みやすかった。



日本人の思考というか

決まり事、ルーティーン好きが

マッチしてたから広まった。



たしかにね、人間って最初に

戸惑ったり、感覚的に嫌と思うと

なかなかポジティブにならない。

必然だったのかもしれない。



ただサッカーのほうが先に

根付いていたらどうだったか。

こればっかりは予想の域を出ない。



ワタクスはそうであっても

考え方までは根付かなかったのでは

と想像していますけどね。



日本人は、その後野球に対しても

マネはするんだけど独自にアレンジ。

これはDNAレベルの抗えない文化。

メジャーとも考え方の違いがある。



オリジナルをアレンジして

うまくやって超えようとする。

「超えんのかいっ笑」っていう

出し抜けにかかる感じを肯定しちゃう。

超えるといっても独自の超え方。



ここはちょっとね伝えるほうも

見えにくいなぁって話なんですけど。

ここのクセが強いのかなぁと笑



自分たち流にアレンジしたがる。

オリジナルへのリスペクトと

そのまま受け入れマネすることが

うまくマッチしてないというか。



素直に、野球なら野球で

考え方自体も学ぼうとすれば

良かったんでしょうけどね。



メジャー流の野球、考え方

そのまま取り入れていって

考え方や社会が変わるみたいな

冒頭のはそういうイメージで。



でも考え方など根幹の部分は

怖がって取り入れたりしない。

まるで黒船怖がってたみたいに。



怖いんですよ、おそらくは。

それが変化することへの恐怖に。

ずっとそうやってきたんだと思う。

日本という国の真実の姿で。



島国として代々受け継がれて

大事にしてきた伝承的な思想?

みたいなものを優先して守る。



昔からの考え方を守るとか

伝統とかけっこう好きなんです。



日本人が古いものを大事にする

世界遺産大国の謎みたいなのも

いつだったか書きましたけどね。



だから新しいものを取り入れても

どこかで先祖代々守ってきたもの

それに対する畏怖、畏敬の念が同居。



自分が守らないことで生じる責任を

回避したくなる、みたいな考え。



知らないよ、勝手に変えちゃって。

責任取れないよ、責められても。



そう。責められる。現代のネットと同じ。

各自が自分の立場だけを守ろうとする

意識が若干、強めに出るから。



各自が自分自身、自分だけ、まずは

自分優先って考えを肯定せざるをえない。

みんながそうしてるからそうしないと

流れに乗れないし、自分も損するから。



だから表向きはしっかりしてる感じでも

日本人は心の奥底は利己的でドライ。

もちろんそうでない人もたくさんいる。

ただ全体の志向としては、そうかなと。



問題は、変えることに対しての

初動の遅さにつながっていること。

これはコロナでもなんでもそうです。



どっかで変化を恐れるのは

自分の責任の回避のためであって

誰かに責められることを避けている。



みんながそうなるから互いが互いを

監視するように縛って動けなくなる。



今回のWBCの結果のように

日本人が外国に認められることは

うれしいし、誇りに感じるんです。



でも自分はというと、なぜだか

古い体質のなかで立ち回る無難を

選択して、変えるリスクを回避する。



自分にできることはやったと

自認させているようにも感じる。

このニュアンス伝わるか?笑



すごいなぁって人をたくさんみても

やるのは各自、自分自身でやってねと。

誰かまずやってみせてよ、その結果を

みて大丈夫なら、自分もマネするから。



そういう動き方をしてしまうから

全体としてはかなり遅く動き始める。



集団の動きとしては、個人が一人で

何千人も斬り倒したあとにようやく

手順を踏んで、決められたルートを

声高らかに、勇敢に進もうとする。



最初の段階で、一人が頑張る最中に

同時にサポートすると、もっと早く

もっと効果的に物事は進むんですよ。



同じようなことを外国人の誰かの記事で

今回、検索してみたら出てきた。



サッカーでボールを持つと

相手が何人いようが、味方は

仕掛けていっていいよと言うらしい。



個人で無理スジな状況で

仕掛けていって打開したら

サポートしてチャンスになる。

そのチャンスに絡もうと

他の日本人は準備するようなね。



その記事の外国人はそうではなくて

最初の局面で同時にサポートして

局面を打開したらいいのにと考える。



そのほうが確率的にも高くなるし

効率的に打開できるはずだと。

ごもっともなんです。でもね。



日本人は無意識に誰かが打開して

動かしてくれ〜って同時のサポートを

しないで、まずは誰かに任せようと

してしまうから。



これ読んで、ほらやっぱりなって笑

ワタクスがずっと考えているのは

そういう最初の一歩を同時複数的に

進めることが必要だということ。



やっぱりそういう自分の感覚って

間違ってなかったんだなと思って。

そしてそれが日本人の問題解決への

ポイントになっているんだなって。



日本人はチャートのイメージが

1人→→→→3人→100人→1万人

でも外国人にしたら

まず3人→10人→50人→100人

この数字にも注目してください。



こういう小さなコミュニティでもいい

同時に進行したら、早く効果的。

そのコミュニティが複数あればいい。

そういうイメージなんですよね。



ただ、この原因を日本人みんなが共有して

そこを意識してあえて同時に動くことを

やらないと解決しない問題なんだろうと。



今回のWBCでもダルビッシュや大谷

ヌートバーなどメジャーで薫陶を受けた

選手たちが同時に引っ張ろうとした。



彼らは刀をバットに代えて

一人で切り込んでいるように

みえたかもしれないが

彼らは同時に複数で動かそうと

引っ張り上げようとしていた。



それが功を奏した部分が大きいと思う。

もちろん試合中の大谷の鼓舞する姿など

すべて同時に、とはいかなかったが



イメージとしては全体を同時に進める

そこについてこれず、遅れる仲間を

鼓舞して引っ張り上げて

同じ列に並ばせるような

そういう盛り上げができたから。



今回はそういう感覚を少しだけ

選手だけでなく私たち全体も改めて

見ることができたのではと思う。



これがヒントなんですよ。

素人が偉そうですけど笑



たぶんこの同時サポート感覚を

意識してそれぞれのコミュニティで

実践していけば、何か変わりそう。



だからワタクスがしたいと思うのは

こういう同時サポート感覚の仕掛け。



このキッカケをつくるために

どんな文章で伝えられるかな〜って

思いながら普段から書いてます。



クドくて長くてね。

伝わらないかもしれないが笑

刀以外に何か刺されば幸いです。