食べられない時代に
生まれ育った世代は
やっぱり食べていくことを
大事にする。
それがまずは第一だった。
いまの飽食の時代とは
わけが違う。
便利でもないし
必死に食べるために
夢中で走ってきたから
いまがある。
生きる、生活する、豊かに。
暮らしを便利にし続けて
可能な限り素晴らしい人生を送る。
なるべくなら、幸せなまま
人生の最期を納得して迎える。
こういう方向にシフトしてきた。
いろんな事が解明されていくほど
個人と人類全体が矛盾していく。
常識ではどうしても納得できず
自分独りでは認められないことが
先送りされ、棚上げされてきた。
日本人は豊かな暮らしを実現する
その願いをもって懸命に生きた世代が
盛り返して、戦後の復興を果たした。
その後、ほんのひとときの良い時期。
長くは続かなかった。欲が顔を出す。
次第にピークが過ぎて守りに入り
自分たちの食い扶持を優先しつつ
全体として、日本は歪んでいった。
彼らは彼らの時代を一生懸命に
動き、働き、生きてきたのだから
それ自体はもう、否定しようもない。
なぜなら、もう過去だから。
過去は過去として、置いておく。
その上で、未来を考えたときの話。
それをやって、進めること。
いまは過去を引きずり、
過去に守られている。
未来のために変える行動が
堂々と目の前で過去に負ける。
過去が強いのは知ってる。
それはその人が都合よく
得てきたものを解釈するから。
この現状、もうムリスジすぎる。
一生解決しないことにしたくて
考えてるけど、答えが出ないって
言いながら前にも進めないまま。
私たち現代人は死にたくない。
死への恐怖、病気も含めて
詳しく知るにつれて恐怖が増す。
怖いことだらけにされてしまった。
未来がもう既に、過去に負けている。
何かを捨てないと前に進めないことも
私たちはなんとなく気づいている。
人間はなんのために生きるのか。
衣食住満たして生活して楽しんで
あとはよろしく?でいいのか。
私たちは便利なったんだから
もっと、その先を考えないと。
また結局、過去の人間と同じ過ち
ってのが一番、腹が立つ。
自分や子供、孫の世代のことを
想像したときに、自分たちがいま
どうすべきなのかを考え、話そう。
過去や現状を捨てないことよりも
なくても我慢できる、別の方法をとる。
そういう視点を捨てないことが重要。
私たち大衆が見せられ
無意識に加担しているのは
感情的に罵り合い、話も物事も
何も進まないケンカだ。
自分事として意見を持ち、
互いに発信できる社会。
まとまりはなく混乱ばかり。
相手をすぐに打ちのめさず
議論をしてみることが大事。
進める、シンプルに進むこと。
ずっとコレ、できていない。
子供でもわかるでしょ。
ケンカして物事が進まずストップ。
誰が見てもケンカが原因だとわかる。
進めるということを拒むように
文句と意見対立で進まない現実。
言いたいことを言ってくれる人を
そうだそうだと支持してるだけ
何も変わることはないのだから。
決断が必要なのにできないまま。
この決断からいつも逃げる日本。
決断の意思ひとつで国も変わる。
政治家も国民も決められないから
自分に合う100%の意見を
待っていて、意見を聞くと粗探し。
100%などないのに、理想が
叶わないことは進めようとしない。
すぐに止まって、進まなくなる。
また別のネタをふられて
議論でなく、文句が始まる。
文句が始まるとケンカが始まる。
ケンカが始まると互いを認めない。
協力する気分にもならなくなる。
自分の主張と合う人だけを
好むようになる。
そうやって自然と生まれた分断。
互いに進めようという意識がない。
分断の裂け目が大きくなり
対岸の火事を腕組みしながら見つめ
こっちは無事だな、よしよし。
ただね、どこかで自分たちに
「矛盾する決断をあえてする瞬間」
実行しなければならないときは
確実に近づいてきていると思う。
この決断は相当なことで
おそらく世界のトップの日本以外の
イニシアチブを取れる国自体が
自国の高齢者が過剰な割合に
達したとき、真剣に考えて
議論をして、一番先に経験してる
日本よりも早く決断して決めるはず。
それは老人を死なせないのか
倫理的に否定されることを
人類の存続のために決断するのか。
おそらく私たち日本人が動くのは
その国らの決断を待ってからで
さらに議論という時間稼ぎと
責任逃れを繰り返しながらも
決めることはできないのだろう。
日本の現状は何もしないとこうなる
というサンプルとして役立つだろう。
どこでどう、決断をしなければ
日本のようになってしまうのかを
分析して議論していくはずだ。
このタイミングで決断しないと
船自体が沈んでしまうことになる。
そういう大局で判断して実行する。
それがいつの時代、何年後になるか
わからないけれどね。
大きな転換点にいる私たちが
正しかったかどうかはいまの時点で
わかることではない。残念ながら。
現時点での精一杯の知見と豊富な視点
データ、予測すべてを駆使して、なお
人類を存続させるために何ができるか。
昔の人間以上に考え決断する責任がある。
ここに食糧事情やエネルギー問題
自然環境の破壊、戦争などの覇権争い。
諸々が絡んでくると複合的に
引っ張り合い、早まるかもしれない。
一生懸命やって、生活が向上して
医療も発達して、便利なものを享受して。
何も悪いことはしていないのに。
良いかどうかわからんが
最後まで施設などで快適に暮らせる
お金さえあれば。自己責任の苦行。
人間はすべての時代で
共通しているようで、違う。
どうにもならない時代「も」ある。
自分たちの良い暮らしだけを
求めていくと争いが激化していく。
以前も書いたが地球ファースト前提で
みんなが考えて分け合うことで
摩擦を極力少なくしないといけない。
目標をそこに共通して置くこと。
まず地球を保持すべき目標を第一に。
そうすべき時代になっている。
さもないと、また人類は
同じ過を繰り返そうとする。
武器を持てばやられる
持たないとやられる。
構えたら、相手も構えるんです。
陸海空、テクノロジーの限りを尽くし
汚して、壊して、せん滅させる。
自国のために地球を汚しても平気。
人生の豊かさを個人レベルでだけ
考えて自分が満足する生活をしてよい
だけでは通用しない局面に入っても。
じゃなければ、先人たちと同様に
また争いながらいったん破滅するのを
繰り返すことになるのだ。
わかってて同じことを繰り返す
わかってるのに、また同じ穴に
まんまと落ちてしまう。
穴に近づく音がする。
これ程腹立つ、悔しいことはない。
◯□の人。丸刺客とでも書こうか。
例の高齢者集団自決の発言の方ね。
彼もいろいろと考えているのだろう。
当然、伝わらない部分もあるし
真意と視点が互いに合っていないと
理解できないことも多いのだろう。
ワタクスもどこかで線引きする
年齢によるコントロールは、近い将来
必要に迫られるかもしれないと思う。
一人しか乗せられない船に
老人と若い人。
若い人を救わなければならないと
誰でも思うし、ワタクスが
老人であっても思う。
捨てて行ってくれ、仕方ないと。
ただ、死への恐怖が支配するから
意識を失わせて眠らせてくれと。
海が急に割れて陸地にたどり着く。
そんな奇跡をいつまでも
私たちは待つのだろうか。