サッカーワールドカップ開幕戦。

テクノロジーがサッカーを殺す。

そう印象付けるには十分だった。



ルールを愛し適用して鬼の首をとる

頭の堅いマジメな連中は肯定しそう。

恍惚とジャッジを下し、酔いしれる。



全世界に導入するまでには賛否もある

視点を変えた議論も必要でしょう。



おそらくさばいた審判団や

VARの小部屋の人らも

本意ではないと思う。


今回はこれでやると

いうから仕方なく。



やっぱりいちいち止めてしまうことは

流れを奪ってしまうんですよね。


たとえプレーが途切れたあとであっても

試合の流れが途切れてしまうから。



本スジの試合や主役たちと違うところで

流れをぶった切り、雰囲気を悪くする。



愛し愛されませんよ、これでは。

AIされることはある意味、死でしょう。



生身の人間がジャッジすることで

いい感じの流れでプレーオン

いちいち止めず、流す判断。



プレーを遮らない連続性の高い

スポーツでは不向きすぎる。



不具合はやっぱり少し残すべき。

雑な部分はあえて雑にしておく

その良さを理解してもらうほかない。



その雑味がうまみになるし

雑味が大きなスパイスなんだと

気づくことになるのだから。



本当に悪質で明らかな場合は

必要だとは思うが

そこは裁量を認める意味を

ちゃんと全体で共有しないと。



美しいものは破壊されていく。



高いんだよ?これ。すごいでしょ?

高くたって、美しくないのはいいの?

魅力あったものを後退させていいの?



現代人に問われるのはそこであり

見誤る瞬間瞬間との、日々闘いである。

絶対に負けられない闘いはここにも。


遮らない判断をすることで

選手たちが戦うなかで生まれる

試合全体のテンポ、リズムを

人間である審判が調整している。



選手だって良いプレーの連続

互いの良いプレーの応酬になるのは

気持ちいいし、アガるんですよ。



スポーツをやったことが

ある人ならわかるでしょ?


ラリーの応酬とか、点の取り合いとか

良いプレーをして、し返してを繰り返す

それが純粋に面白くて、楽しいんです。



正しいからいいんじゃない?

ってのは、ゴミです笑

でも燃えないゴミなので。



人間でこそ、生まれる不具合、感情

そういう一つのドラマを

機械のようにぶった切るのは

粋ではありません笑



純粋な意味など求めていないとき

突然、相手の話の流れをぶった切って

言葉の間違いを指摘するような。

その指摘、いまは違うだろ?ってやつ。



ちなみにウチの父は

そういうやつですね笑

もうセンスでしょ?

そこに気づくかの。



父は何度やめろと

指摘されても直らない。

たぶん一生ムリ、彼は。

気づいていないんですよ

全体の流れなんて。



昔も書いたけど体育祭や球技大会で

初心者同士が楽しくやっているのに

経験者が本気のプレーしだしたり

審判が厳格にファウルを取ったり

バレーで軽いタッチネットを取ったり。



おいおいおい、と。

そりゃいかん。



たぶん人間がやろうとすること

正しいからと遮ってもいいものと

そうでないものがあるんだと。



そのさじ加減は、人間が手綱を握れ。

あえて緩さを残す、許さない流れを断つ。

厳しいことだけが大事なことではない。



美しかったものを後退させること。

後世のためには、してはならぬ。



美しいものを守ってるんだよと

その良さを伝え続けることも大事。

進歩したものに替えるのは簡単だ。



しかし良かったころの美しさに

帰ることはできなくなってゆく。

否定できなくなっていくから。



人間とテクノロジーは

程よい距離を取らないと

間違いに気づけなくなる。



ビジュアルだけでない美しさ。

手を加え続けない美しさ。

醍醐味を失わせて

後退させてはならぬ。

ならぬものはならぬ。



悪質なプレーは試合中は

許されるとしてもその行為は

周囲に隠せない、見られている。



見られていないから

悪いことをする人が多いんで。

見られている意識があると

悪いことをする気は

かなり収まる。



そういう抑止力にしたらいい。

ギリギリの駆け引きで狙う

互いのプレーの応酬には

厳格に適用してはならない。



物議を醸す火種が生まれた。

またしても。

この大会がどうなるのか?



人間を当事者を見守りたい。

機械との闘いがある。

絶対に負けてはならない。