そうそう、まもなく始まる
サッカーのワールドカップで
世界各国から集まってくる
観客はマスクするのだろうか。
おそらくはしないだろうな。
4年に一度の熱狂を大人しく
言うことを聞くはずがない。
それが当たり前、自然な人間の姿。
息苦しくて、さらに声出せないとか。
人間じゃないだろ?とサラっと言う。
たとえ世界中の人のその気持ちが
医学的、科学的に間違っていても。
決めるのは医者でも他人でもなく
自分の判断でする、それが人間だ。
人間本来が持つ、当たり前の感情を
当たり前に表現しているだけさ。
そう言って、顔をほころばせる。
開き直っていい、とさえ考えてる。
乳首が浮き出ようが気にしない笑
それとおんなじくらい気にしない。
あくまで想像だけれど、笑
日本人には勇気がいることが
外国では当たり前、自然なこと。
これが日本のいまの課題のすべて。
いつまでもブレーキから足を
離そうとしない性格こそが原因。
日本で蔓延してるのは
感染症でなく「懸念」ですよ。
懸念はいつまでも続く。
第◯波とフォーマット化を喜び
そのルーティーンを愛する。
逆にフォーマット、ルーティーンに
ハマる自分を好んで常態化させる。
自分や他人を大きく巻き込んで
ねじれて動けないまま助けを求める
ただ単に、懸念する意識だけ。
日本人観客はマスクするのか。
そしてマスクをしてない観客を
配信される映像やネット記事でみて
責めるのか。翻って自分たちは?
さすがにもうみんな気づこう。
みんなで一歩大きく動かしていい。
もういいかげん自覚していいはず。
誰かの意見を待たなくていい。
もちろん医者なんぞ政治家なんぞ。
医者や政治家が偉いとかの視点でない。
その下に入っていこうとする日本人の
根っこにある精神性の問題でしょ。
これは今回注目したいポイント。
同調したい、歩様を合わせたいから
みんながしないとなれば、しない。
この小さな一歩から出発したっていい。
メジャーリーグでも日本人らしき
観客だけがマスクをしているという
光景は見られたのは、記憶に新しい。
だがそれも次第に動いていって
現地の日本人かこっちの人か不明だが
ほとんど見かけなくなっていった。
今回は違う、規模がまるで。
いろんな国の、いろんな人が
いろんな時間に観ている
世界最大のスポーツイベントだ。
すべての大陸から、小さな国から
大きな国まで、大きな注目が集まる。
ローカルテレビと全国ネットくらい
注がれる目の度合いが違うから。
日本人は素直な感情表現を
どこかのゴミ箱に間違えて捨てた。
間違えて捨てたことすら
自分でも気づいていない。
無意識で捨てさせられていた感じ。
今回は「我に返る」チャンス。
もしかしたら即効薬になって
国内でもブワッと広がるかもしれない。
いまの日本はほんのちょっとの
キッカケで大きく動くエネルギーを
自分のマグマだまりに保有している。
日本人は、恥ずかしい状況は
自分ひとりだけなんだと。
周囲から自分だけがその
恥ずかしい状況にいるんだと。
そう気付かされないかぎり
変わろうと動かない国民性を備えた。
島国という風土が育てたのか。
どこのゴミ箱から拾ってきたのか。
いつの時代まで遡れば解明できるのか
それも定かではないが。
いつからか、いつのまにか。
いつまでか、いつまでもなのか。
日本人が忠実無難、典型的な日本人に
囲まれて生活して合わせていられる
いつもの国内の充実環境であれば
気づくことはないんですけどね。
白の中に一人だけ、自分が黒でいる。
自分だけが違う、とわかった途端に
羞恥心が異常に高まるだろう。
そして自分たち日本人だけが
マスクをしている状況を
白い目で見られているのに
耐えられなくなりマスクを外す。
この流れを利用するしかない。
ひとりでは日本人マスクこそ
アウェイであり、黒とみなす。
ここで外して過ごして広まり
あとは若い人を中心にマスクを
外せばいい。
そのほうが大人は動く。
恥ずかしさを感じて自分から外す。
そういう流れができるだろう。
それは若い人がやってるのに
大人ができないのは恥ずかしい
そういう攻め方、責め方でいけば
大人は恥ずかしいことを嫌うから。
大人⇒若い人、では効果がない。
これでは逆効果になるだけなのに
日本人は好んでよくやりたがる。
逆なんです、若い人⇒大人の順。
徐々にマスクの白でなくて
ホントのココロの白で埋めていく。
オセロが黒から白に変わっていく。
あとは時間の問題だ。
すべての黒(マスク)は
一部のカド?笑 を除いて
すべて白にひっくり返るだろう。
すべてじゃなくていい。
ほとんど白でじゅうぶん成功だ。
そういうきっかけになる
可能性を秘めているかもしれない。
なんでもいいから利用していい。
自分のココロの問題であって
マスクの効能とか科学的な根拠とか
そういう次元の問題ではないから。
すべては自分の中の懸念と闘う。
ウイルスより寄宿しやすい懸念を
どこまで払拭できるかで。
懸念に効くワクチンなんかない。
外して歩く、外してマスクを手放す。
普通に自然な自分にあえて戻す。
手強いのはウイルスより懸念意識。
おそらく集団免疫を獲得するまで
ある程度の時間はかかるだろうけど。
前を行く諸外国、先進国を中心に
その段階に突入して進んでいる。
うしろを振り返ると、ゼロコロナ。
日本人はゼロではないと言いながら
先行く先進国からはゼロコロナ国と
同じグループに分類されていると
気づいたほうがいい。
さぁ、生まれ変わる機会に
なるのだろうか?
願わくば、そういう自分は
自分たちで獲得すべきだし
今回を利用しない手はない。