現実問題、これだけ通信技術が

発達して一般化してしまうと

もう大衆の意見を抑えるのは

無理でしょ。



自分も言いたい、発信したい。

そういう人たちの満足度合いは

単にUPするだけでは満たされない。



書いたり話したりする人々は

もう自分の役割を欲している。



こうしたいと思うことを

実現させる方向へ動かしたい。

そういう欲求に進んでいく。



クチに出して言わないが

心の底では誰かに託すだけでは

もう満足できない自分を抱えている。



だが、自分にはそれを決めたり

行動したりする道筋もなく

その権利も役割も与えられない。



だから、その湧き上がった気持ちを

どこかにぶつけないと、どうにも

気持ちを収められない。収まらない。



ホントはこうしたいとか

こう思っているとか皆ある。



せめてもの救いがネット上に

意見してみることなんですよ。



発信できてしまうんだから

それをするなとは言えない。



有史以来、自分の意見を外部に

際限なく発信することなんて

これまで存在しえなかった。



もともと社会への不満はあった。

各時代で伝えるメディアの役割が

なければ伝わらないため

コントロールして大きくさせず。



ただ昭和高度成長を経て

人口爆発気味に膨れ上がると

役割に対して扱う人口の割合が

大きくなりすぎてしまった。



そこに通信技術の発達があり

意見が際限なく可視化される。



そうなると役割や利権を

もっと広めに拡大しないと

いけないはずなんですよね。



さらにそれまでの役割の

競争で敗者となった人が

行き場を失ってしまったんです。



敗者をないがしろにしてきたが

黙っていられないほどに人数も

ストレスも膨れ上がってしまった。



本来、選ばれた記者やライターは

その選ばれた感、使命感など含め

自分たちこそが、正しい意見を

伝える使命ある人間なのだ

という気持ちを強くする。



だが、誰がみたってメディア

全体の質の低下は明らかで

スキルや姿勢も含めて

かなりのアラが見えてきた。



時代のスピードとの意識の違い。

古き良きことの良い面、悪い面。



すべてを改善するには組織がもう

疲弊して負荷が大きくなりすぎた。



組織自体の老朽化が進んでいて

内部からでは改善できず

立っていられなくなるほど

屋台骨はスッカスカになってる。



それでもプライドがあるから

使命感から、邪魔するな

俺らに任せろという姿勢になる。

既に手に負える人数ではないのに。



持ち場を勝手に荒らすなよと。

自分の持ち場に帰れという。

これは役割を勝ち取ったと

勘違いしている勝者の論理。



質の低下を発信者の窓口を

狭くして防ぐことがいいのか。

開放して役割を分散させ

緩和させるほうがいいのか。



決めなければならない

局面にきているんだと思います。



行政や政治が利権を抱えて

離さない構図と同じことで。



人間はどこかにストレスを

逃がす場所を本能的に

 見つけようとしていく。



いまの時代の私たちは

それがネット上なんだと思う。



ホントは自分も参加したいが

参加のハードルが高くて

数が限られている社会で

やりようがなく宙ぶらりんで。



もどかしさを抱えていると

ストレスとなり本能的に

逃がす道を見つけようとする。



あえて競争させるように

場を広げて役割を担わせて

分散させるほうがいいのでは?



ストレスの逃がす道を

つくらないといけない。

そして自分たちの関わる

地域的な範囲で自主的に

関わる役割や利権を開放する。



そうしていくと世の中

怒る矛先は一点に集中せず

各自が日本人に最も欠ける

自主性の目覚めにつながる。



頭の良い勝者ならば

そういった展開も

わからなくもないだろう。



邪魔なのは勝者自身の

プライドだけなのも

気づいていないわけでは

あるまい。