国葬をやるんでしょうけど
どうしても気になるのはね
人が、つくられた流れに
逆らえないように動くこと
自分の意思で止まることが
できないということ。
それぞれに社会のしくみで
つくられた立場、流れがある。
その流れに反対したい気持ちが
強くても多くの人は立場を守るから
つくられた流れを覆せなくなる。
流れに逆らうことで自分の立場や
自分だけでなく仲間や周囲の立場
危うくしてしまうリスクは冒せない。
だから意見はあっても言わないし
行動しないという結論に落ち着く。
それがオトナとされて社会が形成。
一度つくられた流れを誰も崩せない
行き先が違う、今回はこっちじゃない
そう知りながらバスや電車に乗り込む。
一度ルートをつくられた流れは
私たち自身がハッキリと決断を
しないかぎり止めることはできない。
以前よりは声は届くようになったが
その意見も流れに吸収されてしまう。
バスや電車は勝手に動くものではない。
今日もそうだろう。多くのメディアは
反対の意見がありながら放送するだろう。
メディアは立場上、すべて無視して
国葬を取り扱わない決断はできない。
立場や存在意義などが優先されて
自分の意思など組織に吸収されてしまう。
メディアが横並びで取り扱えば
多くの人が目にすることになる。
どうなるのかは知らないが
国葬を見て反対していた人も
やってよかったと主張を翻す
かもしれない。
五輪もそれは、同じでしたね。
当日の動きを逐一報告しながら
報道した気になっているのは
いまに始まったことではないが。
それも無意識下での前例踏襲。
こちらがこう動けば、相手に
迷惑がかかるから変えられない。
日本はそういうお互いが
お互いを縛る構図があちこちに
何重にも張り巡らされている。
そのつくられた流れに対して
反対の声を上げたとしても。
同調する意見が多数あるとしても。
そこから現実に変えることは
日本では日本人だけでは至難の業。
戦争に没入していく戦前の日本も
おそらくこういった心理になって
なんとなく流れに逆らえず
トップでさえ流れを変える
決定をできる者がいない。
行く先の違う場所に
わかっていながら乗り込む。
おそらくこういう流れの
危険性についても多くの人は
理解しているはずです。
だとしても、それでも立場を
無視できず誰も決断しない。
誰も変えることをしない。
日本はその連続で停滞してる。
リスク意識、事なかれ主義。
マスクを外せないこともすべて。
日本が抱えるメンタル的な課題。
これはもう外国人登用しないと
解決しないのかもしれない。
過去、古来から歴史を振り返れば
外国人を登用することが時代時代で
たびたびあった。史実が確かなら。
ということは、当時の人々も
なんとなく日本人の悪いクセに
気づいていて自分たちだけでは
どうしようもないと悟ったのか。
考えてみれば明治以降は
あまりそういう流れを見ない。
むしろ日本人だけで進む
大義みたいなものを掲げて
実は客観視できていないまま
失敗を繰り返している気がする。
日本人由来のメンタルでは
もう流れに逆らうことが
できないまま沈む船に乗る。
それでも降りることなく
満員で黙ってマスクして乗り
目的地まで自分の決められた
タスクをこなすことで自分を
納得させようと黙ったまま。
これを私たち自身で日本人だけで
変えることができると思いますか?
変える流れより変えない流れの
チカラがいつも強くはたらく。
たぶん日本人だけでは
残念ながら同じことを
繰り返すだけになる。
いくら狭い国土であっても
広い視野は必要だろう。
誰が好んで沈む船に乗るのか。
悲痛な叫びは、この国では
常に非通知だ。残念ながら。