コロナ界隈に関して思うことだが

医者って、病気をさせないことも

守備範囲にしてしまっていいの?



いまの最先端の技術や情報社会だと

そこまで議論しなきゃいけなくなる。



わかるよ、病気になってほしくない

病気をわかるから、知ってるからこそ。



そういうふうに言うのも

結果的に医療を崩壊させない

みんなのためと。



しかし本当にみんなのためか?

病気になるより、ならないほうが

優先されてしまうと

どこかで私たちもバランスを崩す。



生きる上での自分自身で決めること

自分で決めるべき、決めていい

大事なことってある。



そういうものを犠牲にしてまで

病気にならないことを優先して

本当にイイ?後悔しないのかどうか。



やっぱり、なんか違うぞと。

演者より前に出るスタッフ。

体育祭で本気出すバスケ部。



ん〜、二番目は違うか・・・笑

でも、これもイヤでしょ笑

本気出された記憶ありません?



各自のライフスタイルより

前に出てる状態で積極的に

医者がこうしたら?と先導する

よく考えたら、ちょっと不愉快。



日本がやってることは

そういうことに近いし

従ってしまう国民性がアダ。



正しいかもしれん。

間違っていない。

でもそこは手出したらダメ。

自粛しないといけない境界線。

越えてこないでほしい。



医者に限らずですけどもね。

日本人は特に自分を何かに

合わせることが日常だから

気づきにくくなってる。



人間が生きていくことに

併走や、ちょっと後ろでカバー。

本人以外はそのポジショニングで。

そのくらいならわかるんですよ。



踏み込みすぎてしまって

もう主役より前に居ないか?



マジメもわかるし、正しいのもわかる。

ランナーズハイのようになって

ゾーンに入っていくのもあるだろう。



だからコロナになってほしくなくて

リスクがあるから、伝えたい気持ち。

ただ、もう彼らは主役の前に出過ぎ。



そして主役の私たちも言うことを

聴きすぎてしまってますんで。

ここも諸外国とは真逆でしょ?笑



面白いですよね、そういう違い。

個性か無個性かはわかりませんが。



ひとつは日本人が自信を持って

こうするんだ、ジャマすんなよ。

それが自然なことだろ?という



外国人が言ってそうなイメージ

こんなことを私たち日本人は

ハナから考えようともしないでしょ?



ワタクスも頭のイメージに

言葉が追いつかないことが多い。



それはそれで、もどかしいけれど。

それもそれで、いいかなとも思う。



出てほしいけど、あまり前に

出すぎないでとも正直思うし。



ちょっとうまくいかないくらいで

なんかバランス取れるんですよ。

いろんな意味で苦味も必要。



あくまで自力で走るのは

その人本人。なんせ主役だから。

なんせ、ね。なってったってね。



病気を防ぐための情報が

増えすぎてというか知りすぎて

自分らしく快活に行動するのを

ずいぶん妨げられているのは

お気づきか?笑



そうなんです、こうやって

私たち日本人はいろんなことが

重なってコロナ禍において

不安を強くしてきたんです。



自分らしく快活に生きるのすら

制限された中で楽しもうとしてる。

この異常性はちょっと気持ち悪い。



制限は自分で決めることなのに

制限に従いその狭い部屋のなかで

文句を言わずにいかに楽しむか。



オシャレなマスクするとかね。

マスクしなきゃいいのに

するならオシャレな良いものをと。

コンポンからおかしいよと。



それを売り込まれ買うのもね。

そういう細かいソラシを使って

本質から逃げているような。



同調を誘っている存在。

どうちよう。

赤ちゃん言葉で憂いながら

誰かの助言を頼りにする。



病気になった人を治すという

工程の「途中」に居てほしい存在。

前には、いてほしくない。



人生の工程を考えたときに

自分らしく自由に生きること

その結果、病気になった

病気になった人に対して

治す、アドバイスする。



つまり人生の途中で

人間が自分らしくやったあと

それを修正する存在で

ちょうどいいんです。



それを出しゃばりすぎて

自分らしく生きようとする

人間の前に、本来の工程の前に

しゃしゃり出てくるようになった。



医療や科学などを人間の前に

置いて私たちも恐る恐る生きるか。



人間らしくイキイキと生きて

その結果を間違いも含め

正す存在に本来の位置に戻すのか。



言葉にチカラや権限を

持たせ過ぎて人間の生き方の

バランスを崩す要因に

なっていないだろうか?