ラフアンドミュージック以降
チャゲアスのアスカは予想どおり
いろいろと叩かれているようで。
その大衆心理を煽り続ける記事を
バラまき続けるメディアも情けない。
もうどこの発信メディアからも
そのような記事であふれている。
広告汚染された状態のようだが
大衆の私たちはメディアの思惑への
感染防止もできず重症化するだけだ。
アスカのワクチン絡みの発言もしかり。
医者が否定するのもわかる。
だがもう、どうでもいいとさえ思う。
アスカをフリに使い、本題はここから。
そもそも人間は、全部が全部
科学的根拠のもとで行動すべきなのか?
ということを、冷静に見つめ直すこと。
科学が発達していろんなことがわかる。
それはそれで、便利になり危機を防いだ。
だが科学の下に人間を置いてしまった。
この隊列下に人間をおくような
考え方をどこかで放棄すべき局面にいる。
人間の行動は科学のおかげで
少し不自然な行動になってきた。
人間本来の感情や行動を制限しても
ルールに閉じ込めてしまうのを
正当化している結果を生んでいる。
人類のためにいろいろと開発して
発展させてきた歴史であっても
もはや、エビデンスハラスメント。
根拠があるんだからという理由で
なんでもゴリ押ししようとしてくる。
人間の感情を抑えてまでも従えと。
根拠を示されると人間は弱い。
でもこれ、日本国内だけじゃないか?
って思うこともある。
外国は、日本よりは
人間のナチュラルな感情や行動を
無理に制限しようとはしない。
どう考えても外国のほうが
人間のナチュラルさとうまく
付き合えているように思う。
日本はぎこちない付き合い方で
逆にすごく不自然で窮屈な気が。
コロナにしても、なんにしても。
そんなに制限して人生楽しいのか?
怯え続ける日本の肩にやさしく手を。
怖がることはないさ、人間いつかは死ぬ。
外国は人間自らの態度、行動で示す。
それでも日本は洞窟に閉じこもって
出てこようとはしない。神話みたいに。
死ぬことを怖がりながら
窮屈に生きるのか?
そんな人生、誰の人生だ?
誰が決めるんだ?
根拠があるからどうした。
だから従うのが、あなたの人生か?
自分で人生をデザインしていい。
それを互いに認めあっている外国。
日本は、なぜか避けている。
権利を認めるということは
ルールを定めて守ることではない。
自分の判断で他人を認めることで
生まれてくる感情で許し合うこと。
良くしよう、良くしようとして
逆にどんどん窮屈にしてる日本
いつ、その扉を開けるのだろう。