墓守や、葬儀まわりのことを

なんだかウチの親たちの世代は

昔からはりきってやりたがる。

団塊世代より少し上の人間だが。



常識的に当然といえば当然だが

やっぱり責任感があるからか。



毎回、真剣かつ神経質になって

無駄にケンカして興奮しながら。



言い合ってやるものなのか?逆に。

いろんなプライドも見え隠れするが。



この手の界隈の商売は

ある意味、アコギで。

ハッキリしない日本人の拠り所感を

逆手に利用してる気もしなくもない笑



ワタクスは正直、昔からそんなに

宗教観もなく、熱心じゃなかった。

それはいまでも変わらない。



だから常識ではそうだとわかっても

納得いかないことが多すぎる。



さらに進学で、いったん田舎を

捨ててしまった人間なので

そこで故郷への愛着も個人としては

全部、消えてしまってるんですよ。



大学もやめてフリーターになってと

そこから帰りづらくなってしまい

友人関係とのつながりも切れてる。

だから余計そうなったのかもしれない。



すべて捨てた感覚のまま都会の片隅で

ぼんやり生きていた時代があった。

そんな人昔もいまも

結構いますよきっと。



そのときは自分のことしか考えない。

田舎のことなど両親に任せて。

率先してやるのも地元にいた弟が。

そうなると余計に立場がなくなる笑



ずっと地元にいる弟のほうが

墓守意識が高くて、まぁよくいる

でしゃばりタイプなもんだから笑

なので被るくらいなら自分は引く。



その状態でついに田舎に戻ったから

やっぱりどうしても腑に落ちない。



居場所がない居心地が悪いから

とか以前の問題なんですよ。

ちゃんと考えているようで

考えていない不思議な感覚に

包まれているような。



ずっとやってきたようにすることが

常識的なふるまいだと疑わないが

常識だと決めたわけではあるまい。



なんでこんなに冠婚葬祭になると

一生懸命にやりすぎてしまうくらい

テンション高いんだ?って。



特に葬式ですよ、田舎ってやっぱり。

いまはもうちゃんとやれるのも

ギリギリって人も多いのではないか。



もう限界ギリギリなつきあいの

切りきれないものになりつつある。

年々負担になってきてるでしょ。



でもちゃんとやれるうちは

ちゃんとやりたいという意識が

強いように感じる。年寄りはね。



いまの私たちは先祖のために生きる?

先祖のために優先するか?といえば

彼らよりはそれほど情は深くない。



昔の人ほどすんなり言うとおりには

もうしてくれない人が多いはず。

その狭間で揺れてる人が

多いような気がしますね。



ワタクスはいったん、出ているので

気持ちもそんなにポジティブにならない。



それといろんな段階を

個人でも順調に踏めていないから

自分自身もうまく流れに

乗れなかったように思う。



その影響もあるだろうけれど

それはもう嘆いても戻らないので

開き直るしかないと思ってる。



もしかしたら団塊世代くらいから

全体で大きく人が移動し始めたから



その世代から墓の意識や地元意識も

切れてしまっている人が潜在的に

多くなっているのかもしれない。



世の中の人の流れ、都会への流出

からの、いまは田舎暮らしで移住も。

人が以前ほど定着しなくなって

きている最中だから。



なんだかんだで長く居続ける

地域の住民の常識や

しきたりとの距離感が。

その考え方の違いも出てきている。



すべての人が昔と変わらずに

うまくつながってるかといったら

そんなわけないだろうからね。



考えてみれば、昔は人の移動が

ほとんどなかったんでしょう。



それこそ故郷を捨ててということは

すべて失う、捨てる意味だったのかな。



お墓を守り続けるとか、何かを

継続していくのがしやすい環境。



その地に定着した人は

親から受け継いで

ミヨウミマネでも続け

次第に自覚を持ちそれをまた

次の世代に伝える。

当たり前にやってきたのだろう。



たぶんそれほどうまくやれては

こなかっただろうとも思う。



ただ、すべての先祖が一生懸命に

やってきたように写ってしまうが

決してそんなことはないだろう笑



うまく続けているのは戦後から

数十年くらいではないか?

いまはもう逆に崩れているから。



もとから崩れては立て直して

その繰り返しの歴史だろうとも思う。



むかしの人だって自分が生きるのに

精一杯であって、先祖を敬えるのは

相当な歴史ある家柄でないと無理でしょ。



それが曲がりなりにもある程度

高度成長あたりからなんとかつないで

継続してきたから続けなきゃ

水準も維持しなきゃとなって

エスカレートしていったのかな。



団塊の世代以降少しずつ

変化してきているだろう

この墓守や冠婚葬祭の儀式系。



昔の人の意識が伝わって

継続するのがいいのか

それはその人にとっての

しあわせなのか、苦痛なのか。



乗り越える試練、つないでいく

経験や歴史なのか。



もしかしたら団塊世代以降の動きから

もう崩れ始めているのかもしれない。



つくづく団塊の世代ってホントに

良くも悪くも影響力が大きい。



この世代を送るまで

そしてこの世代のあおりを食った

団塊ジュニア、氷河期世代が

悪い部分全部背負って退出するまで

日本は何かに引きずられながら

長いトンネルが続くのだろうか。



自分ではいろんなジレンマがある。

ないがしろにしてもいけない

でもずっと維持するのも疑問で。



なかなか答えが難しい問題ですね。

ちょっとだけホンネの素直な気持ちを

吐露してみました笑