おふざけが許されなくなってる。

でも、まじめすぎても面白くない。

笑うほうが、しあわせだろうよ。



差別と笑いの境界線を引こうと

ムリしているからかもしれない。

マジメだからなんでも線引きたがる。



引かなきゃダメだと思ってるが

引かなくても済むこともあると

理解できない人が多いようで。



水ダウの吃音の問題は観てないので

ちょっとわかりませんけど。

出川のプロフェッショナルは

再放送っぽいのを観ました。



難しいでしょうね、いまの時代

笑いを簡単に線引きするのは。



ちゃんとしないほうが

実は大事なんだよ

ということが

教えられない大人。



説得力のなさ。

説明力のなさで口ごもる。

みんな変わらない同じだよ。



ワタクスがみんなで

もっと考えたほうがいいと

思うのは「切り返し」のほう。



言われた側の切り返しは

本人だけでなく周囲も含めて

救うことがあるから。



水ダウは社会の縮図のリアル。

そういうキッタナイ人間性含め

リアルに映すことは逆にいまの

時代の教育上、普段得られない視点。

そういう学び方もアリで。



昔のPTAやいまのBPOなど

マジメニンゲンたちが

良かれと思って叫ぶことが

全体を苦しくしてる。



たぶん彼らは自分たちは

間違ってない!と心の底から。

いやいや笑



99対1の状況があるとする。

1の許容の仕方は1つじゃない。



99が笑うことが1を傷つける。

良くないね、それは。



でも99にも負荷がかかって

全体の関係性は向上しない。



99に1を足す状況にならず

99と1の状況で距離あるまま。

日本はこのイメージだ。



声高に叫ぶ人の多くは

◯◯さんがかわいそう~!!

って言う、学校でもよくいた

先生に言ってやろう的なもの。



1を傷つけるなと叫ぶけど

99とうまく関係性を築くまで

いかない雰囲気をつくってしまう。



そうじゃなくてね。

1は99の人と変わらずに

自分にも接してほしくて。



なんなら同じようにふざけたい。

心の中でそう思っているかもしれない。



本人は99+1にしたいのに

良かれと思う正義感によって

99と1を距離とり保ったままにする。



人と人は簡単には解決しない。



社会全体が100になるどころか

いろんな数字が分散されたまま

孤立して漂っていないかい?笑



笑いはコミュニケーション。

受け手の切り返しがポジティブなら。

場の空気は変えられる。



ほぼ確実な答えは、切り返し。

99をあえて自虐でもなんでも

より大きな笑いで切り返す。



人はいまと違うつながりになる。

少なくとも、いまの分散された

数字の無個性集団よりは。