現代人は発明によって
「いさぎよさ」を
失ってしまった。
というか、誘惑に負けた
奪われてしまった、だろうか。
たとえば若さを維持したくても
技術的にできなかった時代
老いや病など仕方なく
受け入れるしかなかったはず。
ハゲようが太ろうが仕方ない。
歳をとればみんな崩れるんだ。
病に倒れたら運命を
潔く受け入れるスタンスは
確実にあった。
しかし年々研究、改善され
技術の進歩は誘惑してきた。
生えるよ、治るよ、痩せるよ。
えっ?そうなの?ホントに?
潔い美徳は消えた。
潔く受け入れるのは
そもそも美徳だったのか?
飽くなき探求心がなせるワザ。
悪なき欲求と正当化、保身。
欲張って、いや
良く頑張ってきた。
しかしお金さえ払えば叶う。
そのための努力は惜しまなく。
老いる仕上がりにも
貧富の差が出るようになった。
長生きも経済力で補う。
考えてみればいろいろと
叶う世の中になってくると
自然と自分のことしか考えない
考えなくなるようになってしまった。
昔は老いるからこそ引く
譲らざるを得なくなるから
自分以外の他者のために
行動できたことも多かった
と推測しているが。
自分が残れる、助かる
続けられると考えた瞬間
他者のために動く必要性は
優先順位を下げてしまった。
ということは人間の心理に
巧妙に仕掛けられた
文明や技術の進歩という細工は
長い年月をかけて人間を
滅亡の道へいざなっていくもの
そう決まっているかのよう。
仕方ないのか
仕方なくないのか。
そもそも譲ることは
潔さなのかも定かではない。
その時代その時代で
そうすることしか
できなかったのだから。
いまを生きる私たちには
年々簡単にはモノゴトを
決められなくなってきている。
その割には、いろんな難題を
突きつけられながら生きている。
誰もが欲を満たすことを止めない。
社会や世間も商売という名目で
生きるために、食べていくために
欲を刺激し、仕掛け合う。
相手が支配欲を見せれば
負けないよう対抗するために
武器を持ち構え続ける。
戦前も同じような結末を
迎えたことにも私たちは
自分たちのために仕方ないと
また同じ轍を踏むのだろうか。
構えれば、相手も構える。
戦う意思を見せればもう
止まらなくなるのも
私たちは学習してきたはずだが。
おのが欲の前で互いに譲らず
争いの渦の中へ。
もう始まっている、もうすでに。
100年前と同じ階段を
転げ落ちていくのだろうか。
潔さと自らのグレードダウンは
負けることになるのか。
人間全体が滅びてしまっては
元も子もないと思うのだが。
現代を生きる私たちの
潔さとは何なのだろう?