生活関連の物価上昇が進む。
たとえば私たちが働かずに
生活資金を毎月ポンと
支給されるとどうなるのか?
人によっては明日から
働かなくて済むようになる。
暮らしがラクになる。
欲しいものが手に入る。
などなど、精神的にラクになる。
金銭は生活のために必要だ。
しかし労働は生活のために
必ずしも必要ではない。
生活に余裕ができれば
使いたい意欲も増すだろう。
多くの人は薄給に耐えながら
やりくりしつつ生活や人生を
設計していくことが当たり前。
この働いて稼ぐということの
プレッシャーを軽くすることで
社会はどう変わるかが注目だ。
国民への10万円の給付金の際に
ワタクスも何度も書いたが
あの時、二度目以降の
給付金のアナウンスがあれば
使う人は増えていたはずだ。
そのあたりに神経が回らなかった。
それ以上は出せないと決めていた。
消費者の心理をまるで読めていない。
その不手際の結果だったと思う。
責任は国民に転嫁してはならない。
読みきれていなかったこと
あるいは、わかっていたけど
踏み切れなかった政治家の
決断の有無の問題だった。
二度目以降もあると知ったら
使う人、協力しようとする人は
もっと多く出てきたはずです。
コレはいざというときに
最終手段として残している?
のかもしれないが。
いけるところまでガマンさせ
仕方なくやったとしても国民は
その期待に応えてはくれない。
思う通りには動いてくれないんです。
思うに、政治家は国民を
少し甘く見すぎている。
使命感を履き違えている。
その国民から預かった税金を
清く正しく使おうとするあまり
厳しめのジャッジを繰り返してきた。
それによってどうにも回らなくなり
あちらもこちらも全部やれなんて
無理だと考えているんだろう。
だが全部抱えて責任を一手に
引き受けてやれと、誰が決めた?
誰も政治家にすべて預けていいと
了承した覚えなどひとつもない。
政治家は職務に対して責任を
必要以上に抱え込みながら
すべて自分たちが責任持って
決断しなければならないと
勝手に決め込んでいるだけでは?
それが利権や権力の集中を招き
権力にぶら下がりイイ思いを
しようと企む人を吸い寄せる。
結果的に悪い方向に進みながら
その中で出し抜こうと試みる
ヤカラを集めてしまっているのでは?
仮に数年間、最低限生活に
困らない額を給付するとする。
多くの人が働くのをやめる。
しかし遊んでばかりいても
人生は楽しくはならない。
いつしか自分に何かできることは?
そう考えるようになるだろう。
放置されている社会問題にも
関心を持つ時間の余裕が生まれる。
すべては、ガマンして
やりたくない仕事を
しなくて済むからだ。
この精神的プレッシャーからの
解放は予想以上に大きい。
ボランティアの要領で
各地でさまざまな人材が
協力しながら社会問題の
解決のために動くこともある。
これは政治家は想定外だろうか?
ワタクスはありえる話だと感じる。
そう思えない、信じきれないのは
政治家や官僚のほうではないのか。
そして働くのをやめれば
困る企業が出てくる。
スキルのある人を探すが
急に集まるわけもなく
業績も落ちてしまうだろう。
そのため有能な人材を集めるには
薄給では雇えなくなる。
雇うためには正社員と同等に
賃金や権利を与えないと
働いてくれなくなるだろう。
そうすることによって初めて
同一労働同一賃金が近づく。
国が考えていることを
雇う側に押し付けても
これまで同様、変わらない。
だから逆に、雇われる側を
強くしてみるのも一考だろう。
雇われる側を有利にすることで
働く環境も動いていくだろうから。
いわゆるベーシックインカムに
近い考え方だと思うが
ここには人の閉ざした可能性が
広がっているのは間違いない。
いまは100円を渡して
それで生活しろといっているが
心が荒んで先は見えないまま。
可能性の高い、広がるものに
10万円を渡して12万にするほうが
社会は流動的になり活発化する。
100円ではいくらやっても
簡単にはギャンブルで成功しない。
しかし、10万円を12万にするのは
案外、可能性は高いのではないか。
必ずしも日本の借金が増えれば
返ってこないと思い込まずに
投資して循環させて増やせる。
そこに動かしていない預貯金が
流れ込んでくるとまた変わる。
そういう人も出てくるはずだ。
やるべき発想の転換をすれば
これはできないことではないと
ワタクスは本気で思いますが笑
しかしいつの時代も
時既に遅しとなってから
動いていこうとしてしまう。
早すぎるくらいでいい。
逆算すればそのほうが
帳尻が合うはずです。
人が多くいるうちに
いまだからこそ
やらなければならない。