マスク生活から早2年。

もともとマスクが

欧米諸国より根づいた国。



慎重論が強く、自分の意思より

他人の意思を上位にとる国。



マスクを外すにも指示待ち。

根っこの国民性の問題で。



花粉症や黄砂などもあり

日常化には、たやすかった。



実際に付けて外を出歩き

慣れてくるとそこからは

現状維持の守りの姿勢も

強くなってくる。



顔を覆い隠されてることで

他人の視線を気にせず

安心するような感覚も

芽生えているのでは?



都会にいたときはワタクスも

他人の顔など、あまり見ない。

そうなってしまっていた。



田舎に帰ってわかったのは

田舎は恐ろしいほど?(笑)

他人の顔を見てくるんですよ。



人が少ないから逆に見る。

誰か知り合いじゃないかと

思っているから、だけではない。



もともとの日常の交流の

延長線上に誰かと会話する

その時間が多いから。



更に日常の通勤や通学圏と

生活圏があまり変わらない

そういう人が多いから。



だから必要以上に他人を

気にしてしまうのは

田舎のほうが強くなる。



コンビニやスーパーなど

人が日常的に集まる場で

意外と知らない人でも

なぜか顔を見てくる。

田舎の特性なんでしょう。



逆に都会は近隣の都道府県からの

出入りが通勤、通学とも激しく

普段の生活圏と関わりが薄い。



だから移動している時も

知らない人が多くなるし

人数も段違いに多いから



そのうち通勤圏でも

生活圏でも日常化して

他人との関わりが無くても

ついには何も気にしなくなる。



こうやって都会は人の顔を

日常的に見なくなるんですよ。

都会の人のつながりが薄い

その正体がコレです、きっと。



その田舎の感覚と都会の感覚。

ワタクスは両方経験したから

なんとなく違うのがわかる。



都会→田舎に移住した人も

今は多くなったけど、そのへんの

温かいけど、わずらわしさも

ちょっとある感覚、わかるのでは?



通勤圏と生活圏の交わりの差が

違うのが想像できるはずです。



これからマスクの着脱問題でも

その差が出るだろうなと。



自主性に任せるとなると

同時に同調圧力の抵抗力が

心理的にもかかってくる。



都会は知らない人がいて当たり前。

だからいちいち他人の顔なんか

見ないのが日常化してるでしょ?



田舎は逆で、人が少ないぶん

人の視線を気にするから

マスク外しレースでは

スタートダッシュがつかない。



人口密度が高い都会は

人の目をわりと気にしないが

逆に人口密度の低い田舎は

人の目を気にするようになる。



この現象はものすごく

興味深いなと思いますね。



もしかしたら人間は

住む環境によってそれぞれ

違いが出て当たり前で

それが自然なことなのかも。



だからこそマスク着脱にしても

統一するのではなく各地域に

任せるのがいいんですが。



でも逆に日本人の国民性は

統一性や同時、同一性を望む。

効率悪いことを望むんですよ(笑)



この意識の隔たりが

かわいそうなくらい

邪魔になっていくでしょう。



そのへんの感覚を私たちは

理解しておかないと

余計な綱引きを延々と続ける

大幅なタイムロスは

避けられないんでしょうね。