小栗旬のプロフェッショナル。
観ましたが、わかる部分が。
俳優じゃなくても
根っこの自分を変えたくて
違う自分を演じる
そういう感覚ってある。
ワタクスも若い頃やった。
ちょっと自分を変えたくて
強気な自分に覚醒させようと。
気にしいなのに気にしない
大雑把にちょっとヤカラ気味に
振る舞ってみようとした時期が。
自分の弱点は、自分で気づく。
その根幹にある自分を刺激して
どこまで個性を引き出せるか?
みたいなことに取り組んだ時期。
不良な素行に憧れてとかじゃない。
もともと中の中くらいのカースト。
これは客観的に見てもそうで。
イマイチ特色がない
パンチがない自分を
刺激して覚醒させたかった。
特色の薄い自分に気づき
その自分を性格的に
どこまで変えられて
周囲がどこまで違う認識を
持ってくれるかみたいな。
宗教とかそんなんはキライ。
自分でつくるものであってね。
全然知らない人ばかりの
新しい職場で働く時に
やってみたことあってね。
結果から言うとそれなりに
「つくられた自分」で認識され
一定の成果はあったようです。
正社員には容易になれない時代で
その職場ではもう上にいけない
どん詰まりな状況だったので。
退職するときに周囲には
不遜な態度や行為について
素直に謝りましたけど。
相手はキョトーンで(笑)
ワタクスの心の中の
自分の取り組みを短い言葉では
説明できなかったので割愛して。
ただ一定の期間アグレッシブに
自分を演じることによって
その行為がちゃんと馴染んできて
自分のナチュラルな感覚になり
少しずつ変わっていく自分も
客観的にわかりました。
なるほど、こうやったら自分の
マイナスな部分も変えられるなと。
その体験と過程を自分なりに
経験知として得られたので
悪い取り組みじゃなかったと
いまは思いますね。
本来の自分を知りつつ
その自分をあえて壊しながら
表向きは上書き保存する。
でも実はそうじゃないんです。
古い自分は上書きをすること
許してくれてなくて消えないで
心のどこかに残っている。
つまりは良いふうにとらえると
自分の領域を広げて
その空いたスペースに
違う自分をつくることは
可能なんですよね。
おそらく自分を変えたいと
思う人はたくさんいます。
でもみんな同じで結果的には
古い自分を消すことはできない。
記憶と同じで心の領域を広げ
別の自分の可能性をつくれた。
けど、別の自分もちゃんと残ってる。
変えたいけど変えられない。
そういう人も多いと思うけど
広げることで良しとしていい。
残ってる古い自分も、自分。
広げた領域から新しい自分を
採用率高めでチョイスしていく
そうやって自分を馴らす感覚。
小さい頃から自分はこんなもん
って思っているかもしれないけど。
案外、やってみると
リアルな現実の人間関係でも
変えた自分をつくれます。
基本としてその際に大事なのは
堂々とすることをブレさせない。
常に自分の中心軸に堂々を置く。
「堂々」があるかないかで
受け取る側も認識を
変えてきますから。
年齢問わずやれることかなと。
違う自分を演じつつ
違う自分をつくることは
大事なことです、きっと。
この時代だからこそ
周囲と違いが無いなら
意図的にでも自分で広げる
演じることで拓く可能性もある。
あきらめずにできることです。
ワタクスもまだいろんなこと
あきらめてませんからね(笑)