誰かをイジるケース。
笑い話に「する」のは好きだが
笑い話に「される」のは嫌う。
最近の流れですね。
笑い話って笑うほうはラク。
話しているほうも楽しい。
笑われるほうは内容によって
決して楽でもない。
不機嫌にもなるだろう。
その不機嫌状態を見事に
笑わせることができたら
案外、解決することもある。
ということは
笑われた側を笑顔に
してしまう一言を
磨けば解決する。
簡単ではないがソコだ。
お笑い芸人がやってるのは
この一手がうまいからこそ
成立していること。
私たちはお笑い芸人の
マネをしたがってきた。
従ってきたと言ってもいい。
だがその外形だけをマネして
そこで満足していただけだった。
考えてみれば構図はこう。
1.笑う側がイジる
2.笑われる側が受ける
3.笑う側が笑われる側を笑わせる
プロは3手目までやる。
つまり必ずオチで笑わせる。
受け手もプロならば
3手目までがセットだと
あらかじめわかっている。
オチまでいかないと終わらない
終わりにさせてはいけないと
互いに意識しているはずです。
この意識があってプロの
技術で補うからこそ成立する
スレッスレのテクニック。
この3手目までが大事なのだが
私たち素人は1手目で満足して
3手目までを放棄してしまう。
そこのウデがないんです。
1手目をやりたくて
マネしたくて仕方ない。
私たち素人レベルでは
安易に1手目をマネてしまい
相手に放り投げて終わる。
2手目の人がうまく
切り返しできたらまだいい。
2手目の人があえて3手目をして
自分自身で笑い話を回収する。
これならイジメやハラスメントに
ならなくて済む、場合もある。
おそらく1手目だけで
満足をしている人が多く
2手目以降の器量があってこそ
というポイントに気づかない。
笑い取れたと単純に思ってる。
しかしそんな芸当、みんな
当たり前にできるはずがない。
だから2手目、3手目で
どれだけカバーできるかは
その当事者の器量による。
2手目の返しを器用にできる人は
まずイジられるタイプではない
というリクツも間違いではないが。
イジることを一切やめろ
と言うのは簡単な話だ。
だがそれだとあまりに
つまらない雰囲気を
私たちは、ただただ
ガマンするしかなくなる。
やはり、それだけは避けたい。
そんなセンスのないことを
粋でないことするほうが
恥ずかしい。サッブイ。
笑うことはストレスの発散だから。
そんな窮屈な世界などウンザリだ。
無理に抑え込みすぎると
不機嫌さをモヤモヤと抱え続け
目に見えないバランスを
崩してしまうだろう。
精神衛生上はイジるをやめず
やりながら3手目までを
磨く工夫をすべきではないか?
これは自分自身で意識しつつ
3手目までがセットだと
叩き込んで鍛えていくしかない。
これを勉強するなんて
マジメがマジメにやるのも違う。
ナチュラルに、笑いながらで。
このポイントも大事ですね。
すぐちゃんとやろうとするから。
ちゃんとやったらダメなものも
あるんですから、この感覚でね。
もしかしたらこのユーモアの領域で
ナチュラルにうまく立ち回れないのが
日本人なのかもしれない。
マジメな人は、そもそもの
1手目を封じてしまおうと
するんですけどね。
それは簡単だけど粋じゃない(笑)
全体のストレスの行き場がなく
大きな意味では解決しない。
例の吉野家役員も
このマネイジりで
1手目のみを安易にやって
通用してきた世代だろう。
言いたいこと言って
フォローの意識まで
3手目まで視野に入っていない。
そんなタイプがどこにでもいる。
偉くなろうがそうでなかろうが。
世代的に多くの人がそうだろう。
どの程度、あの言葉のあとに
フォローしていたかは知らない。
けど立場上、話す人に対して
聴く人も黙って受ける姿勢のみで
チャチャ入れする立場でも
雰囲気でもなかったかもしれない。
想像してみるとやっぱり
どの世界にも1手目のみの
人間が多いんでしょうね。
だからマジメな人間が多くなり
ふざけて1手目だけをしてても
許された時代の名残りが際立つ。
でも逆に1手目すら封じて
ゼロにしてしまうことで
解決させては、ダメなんです。
私たち全体にとって
あまり良くない方向に
進むように思えてならない。
ユーモアとは互いの器量で
いくらでも広がりがあるものだと
個人的には感じています。
私たちもマネするなら
ちゃんとオチまで。
日常なら相手を笑わせる
そこまでやるのが大事。
ボケてるのにツッコんでよ!
も違うけどね。
ちゃんとマネするなら
3手目までマネしないと。