よく考えたら私たち日本人は

医者の言うことには、わりと

素直に聴いて守る習性がある。



根がマジメすぎるのかもだが

おそらくもっと違うところに

原因があるのだと感じる。



医者の言うことは、体感では

大丈夫の基準が一般生活と

比較してみると少し大げさだと

感じることも多い。


病に対しては基本、ゼロを目指す

医者の言うこと聴いてたら

どうなるだろうか?



ピンポイントの病気は治ったが

諸々の生活バランスは崩された

そういう人、日常も多いのでは?



医者の責任は病気の範囲内で

そうすべきだと発言している。

ワタクスはそう感じている。



その人の生活や人生まで見てる

わけではないんですよね。



後の事は他の専門家の分野だから

立ち入ったことは避けるでしょう。



コレ、よく考えたら当たり前。

彼らは彼らの責任の範囲内で

病気を治すことを主眼に置く。



医者は口が避けてもいまの段階で

マスクはもう要らないとは言えない。



もちろん医者が悪いのではない。

別のところで私たちが悪いんですよ。



何度も念を押すが

医者が私たちの生活の面倒を

見るわけではないのだ。



医者の守備範囲の外にある

私たちのその後の人生や稼ぎとは

意図がすべてかみ合うはずがない。



医者が工面、補償するわけもなく

そこは各自の別の責任の問題だと

悪くいえば、逃げ道があるから。



だから、総合的に人生として

私たち自身が、自分で判断する

決断して早めに動かすくらいで

ちょうどよいのではないか。

そう私たちも理解しないとダメ。



いつまでたっても動けずに

人生のリカバリーのタイミングを

逸してしまうことになる。



医者の言うことをあえて

最低ラインにしないことが

重要なのではないか。



日本人は自分の意見を持てず

どこかで誰かや何かの

お墨付きを待つ習性が直らない。



医者が良いというまで。

政治や国が大丈夫というまで。



何かタイミングのズレを

いつも感じませんか?(笑)



もちろん根治、完治させるため

病気を避けるために必要な指示で

理にかなった意見である、が。



私たちの社会が止まるほど

守れとは言わないだろうし

そこは医者の見地を貫く。



つまり医者の10で大丈夫

これを私たちは7くらいで

大丈夫として動かさないと

タイミングを逃してしまう

そのおそれがあるということ。



各自が自分の責任の範囲内で

立場上の意見を言うのは

構わないし、医者の意見こそ

実際に正しいんでしょ?



でも私たちが素直に遅いと

もう動かさないと死ぬ、

国なんかカバーしてくれる

わけがないと、身に染みてる。



ならば。ならばでしょ?

ここの同調圧力には屈せず

動かさないとダメなんです。



諸外国は強権発動して

徹底して人権どこへやらでも

押さえ込もうとする国もあるが。



おおむね、自由や権利を保障され

成熟している先進国では

国民と国の共通理解ができてる。



医者の10ではなく

国民の7で動かして

全体のサポートをするような

方向性を感じませんか?



日本は医者や国の10に

国民も合わせたくないけど

同調圧力も含めて10の意見を

正義として掲げて進む傾向がある。



これまではそうであっても

これからはどうですか?

いま生きるのは私たちです。



過去の人でも未来の人でもない。

決めるのは誰ですか?