田舎に生まれ育つと

田舎には田舎の良さが

あるように思うかもしれないが

不自由なことも多くある。



田舎の縄の呪縛

とでも言うか。



田舎はなんとなく

縄で囲っている範囲内で

有力者の庇護の中で

立ち回るのが賢い選択

みたいな雰囲気がある。



田舎のルールがあって

無理に破ろうとすると

村八分的な有形無形の

圧力をかけるような。



田舎、その地方への

帰属意識というか。

序列意識というか。



自分たちでうまくやってるところへ

外からヨソモノが大手を振って

立ち回るのを遠慮させるような

雰囲気があったりします。



良く思わないんでしょう。

勝手に入ってきて壊すな!

見えない縄を張ってその中で

了解を得てから立ち回れ!

みたいな雰囲気。



見えないのに、見栄張る。

これでいいのだ、みたいな。



それが閉塞感の一翼を

担っていると言えなくもない。



文字通りの縄張り意識で

周囲も事を荒立てたくない。



角が立たないように

振る舞うことを無意識に

強いられてしまうような。



たまたま生まれたところが

田舎だっただけですよね。

イチ人間として。



今の世の中、田舎にいても

実は全国各地、世界中と

繋がっている現実があって。



田舎で田舎の人を相手に

合わせなくたっていい側面も

あるんですけど、無意識に

田舎のルール内で自らも

立ち回ろうとしてしまいます。



それでも田舎は田舎の

ルールを現実の町の中で守り

その縄の中でも了解を得ながら

立ち回りつつ利を分け合う。



そんな妙な雰囲気が

昔からいまだに残っている。



だから田舎にそのままいると

なんか不自由を感じて

やりたいようにやるなら

都会に出るしかない。



そうやって地元から離れ

もっと自由に立ち回りたい

そう考えて出ていく人が多い。



ワタクスもその閉塞感を感じて

田舎を出たんですけどね。

まぁ、戻ってきましたけど(笑)



何も仕事や、やりたいことは

田舎のルールを遵守した上で

ローカルルールの縄の枠の中で

立ち回ることがすべてではない。



むしろ、その縄の呪縛が

可能性を殺していることもある。



働くことも実は

その縄の呪縛がある。



なんだかんだでたどれば

有力者の息がかかったところに

行き着くみたいなね。



田舎はもしかしたら

ホントの能力を発揮して

いないのかもしれない。



ある程度、田舎の分別が

つくようになると

勢いを削がれてしまうような。

気づけば同じ穴の、っていう。



だからいきなり、田舎でドンと

掲げて立てるのは案外、難しい。



都会でそれなりの地位を得て

パワーバランスで負けないくらいの

個性を全国的に認めざるを得ない、

そういう人になっていないと

対峙できない感覚がある。



クチではもっと自由に

やってみたらいいんだよと

言うんですけどね(笑)



そのサポートもなんかね

どこか、やれるもんなら

やってみい!みたいな(笑)



ネームバリューがないと

思うようには突き抜けられない。



快く思わないでしょう。

彼らの立場に立ってみると

面白くないという感情になる。

それもわからなくもないが。



ただ現実として閉塞感を

本気で打開したいなら

腹括って鎖国意識を

解くしかないんですけどね。



これまた人間がやること。

いろんな感情がつきまとい

うまく運ばない現実に

ぶち当たるんでしょう。



田舎が変わるなら

ネームバリューで対峙して

戦って勝つのもひとつですが



それだと最終的に快く

協力を得られないでしょう。



どこかで彼ら地元の人間で

地元での実績を積んだ人と

手を携えていかないと。



郷土の現実的な立場を知り

イヤかもしれないけど

開国するような試みをしないと

何も変わっていかないですよね。



田舎の不自由さについて

この妙な感覚、わかる人も

いるのではないでしょうか。