ダウンタウンが漫才を
披露したらしいね。
詳しくは観ていないので
なんとも言えませんが。
ネット記事の抜粋では
楽しそうにやってた感じが
伝わってきた。
いずれどこかで無料で
観ることができるでしょう。
そう焦らなくても。
映画がテレビでやるまで
待つような感覚で。
ダウンタウン世代な
ワタクスは彼らの漫才は
作品としては観ていない。
世代の多くは全国的にも
「ごっつ」「ガキ使」あたりから
ズサっと刺さってきたはずでね。
彼らの人間性や個性がにじみ出た
ダウンタウンという2人を
楽しんでいるんです。
批判が染み付いた人は
彼らのすべてを作品として
責任の枠に落としこもうと
しているようにも感じる。
今回のはフリートーク
というよりは漫才のネタ
という作品に近い30分
だったらしいが。
プロの人は作品とみるのか
個性そのものの延長線上で
観てるのか、わかりませんけど。
人間そのものと
演じる作品としての漫才
これの境界線がないような
存在にまで昇華してるかも。
おそらくど真ん中世代は
コントやフリートークなど
彼らの全部が好きだから。
もしかしたら
漫才を漫才として素直に
観られなくなってる。
漫才の境界線から
面白おかしく脱線しながら
ガキのフリートークに
昇華していった時代を
一緒に共有してきたけど。
観ている私たちも
いつのまにか漫才と
フリートークの境界線が
わかりづらくなってる。
もうダウンタウンが
しゃべるならカタチなんか
どうでもいい
彼らの会話を楽しもうと
変化してきた気もしますよね。
彼らは同級生で幼なじみ。
普段の仲間内の延長線上の
関係性がある。
これがあるとないとでは
笑う笑えないの基準が変わる。
いまはそうなってしまった。
ダーハマをミソクソに言うのも
マトゥモロをクソミソに言うのも
汚い言葉も暴力もね。
その長年の関係性があって
お互いに了承してるからこそ。
昔は私たちも何の疑いもなく
そういう目線の延長線上で
笑えていたし、面白がったし。
そんで同じようなボケや
ツッコミ、粗暴な行為を
したくなってしまう
人間のサガですかね(笑)
子供がマネするのは当たり前。
ホントはオトナだって
「マネしてみたい」誘惑に
駆られているんですから(笑)
単純に切り取って酷いとか
ダメだとか、良くない行為とか
わかりますよ、そりゃ。
現代の流れを考えると
時代にそぐわない笑い
そういう雰囲気になった。
でも人間がそれで笑ってた事は
素直な感情だったりしますからね。
逆に今は笑ってはいけないを
演者じゃない一般大衆が
演じてる気がしません?
身構えて失礼のないように
周囲を警戒しながら
ひきつり笑いしてる感じに
近づいてきている。
あの感じって人間は
演じてるんだと思う。
ウソついてないまでも
素直な感情にフタして
良い人間、オトナを演じてる。
受け手側の演じなきゃ、みたいな
言葉の暴力を逆に振るわれる。
そっちを気にしはじめて
笑ってはいけないをリアルで
大衆が演じてるというか。
こういう変化に依るところが
大きく関わってズレが生じた。
失礼だったり、差別的だったり
彼らの仲間内の会話の延長線上。
その延長線上で私たちも
聴かせてもらっていたし
楽しませてもらっていた。
イイコちゃんばかりになると
ウラで悪いことして発散する。
ウラでは悪い子として素直に。
イタズラ好きだったり
ヤンチャしてた子が
オトナになって丸くなる。
実は意外とそういう人のほうが
周囲からも親しみやすく
味わいのあるオトナに
なっている気がしますよね。
また今とは違う流れがくる。
笑うっていろんな要素が
混じりあっているから
全部無難にしてしまうと
面白く感じなくなる。
ムチャクチャやる
爽快感がたまらない
流れが逆にくるだろう。
時代がそういう人を求め
周囲が再来を感じて仕掛けて
また新しいカタチでリバイバル。
その頃、ダウンタウンは
もうこの世に存在しない
かもしれないが。
彼らはあの世で大きな声で
結果発表~と言い放って
笑っているかもしれない。