ウィル・スミスの件について
いろいろ思うところを。
笑いやすいって状況がある。
仮に司会がダウンタウンだと
想定してみよう。
すると会場にいる人は
少し笑いやすい条件が整った
環境ができやすいのは
想像できるはずです。
笑う準備ができている状態。
聴いている私たちが
笑うスイッチが入りやすい
状態に既になっている。
例のコメディアンの司会者が
冗談を言うだろうと認識している。
ましてウィル・スミスという状況。
笑う準備ができている。
そういう状況では反応が難しい。
これがマジメな司会者で
認識されていたら周囲も
笑う準備をしていないし
ハナから笑いの要素を
期待していないでしょ?
今回はちょっと反射的に
瞬時に笑う笑わないの判断が
周囲の客?も難しい状況。
そう考えられなくもない。
絶対に笑わないというように
身構えていないと周囲は
反射的に冗談、ジョークと
言ってはいけない発言とを
判断しにくかったと思う。
アレで笑いが起こるのは
信じられないみたいに言う
意見も正しいには正しい。
第三者的に外部の人間が
見るとそうしか見えない。
しかしコメディアン司会者
という状況で観客は無意識に
笑う準備ができてしまっていた。
差別的なアンテナをしまっていた。
アンテナをはれていない状況だった。
そういう見方も百歩譲って可能。
笑う行為は、しばしば人を
無意識に傷つけてしまいやすい。
反射的に笑ってしまうのは
致し方ないということも
当事者目線では言えなくもない。
逆に私たち日本人が注意すべきは
すべての状況で非がないように
身構えてしまうことではないか。
この流れから発言に
気をつけようとすると
どこか縮こまってしまう。
面白い、笑うという環境に
ネガティブになってしまう
おそれもあるから。
日本のお笑いが死ぬ環境を
すべての状況で前提化して
笑えない、笑うことが許されない
雰囲気になるのが怖いですね。