80歳の人
当時が昭和と令和では
リカバリー環境が違う。
人間、基本は持っている
スペックは同じような感じ。
だらしなさも、悪い心も
元来、そう大差はない。
だが積み重ねた研究開発など
外的要因によって向上した。
研究され、効率化され
早く気づいて未然に防ぐ。
手遅れにならないように
リカバリーできるように。
かつてはガンなんかは
同じように人間はなった。
命名されていないだけで
昔からあったんだろう。
いつも手遅れだっただけに
簡単に救えなかった。
だがそれでうまく世代交代が
潤滑になっていた側面もね。
それが自然の摂理というか。
語弊があるかもしれないが
いまは幸か不幸か
簡単には、死ねなくなった。
世代交代は人間の抗えない死と
関係していることが多い。
世代が変われば動くことも
あるにはあるし
世代が変わらないから
維持できていることもある。
死ななくなったからこそ
すべての人がハッピーでは
ないはずなんですよ。
そして、権利尊重や擁護や
倫理も、必ずしもすべての人に
プラスにはたらかない現実。
なんか詰まってるんですよね。
いまのあらゆる技術の発展を
できるかぎり駆使したうえで
ゼロを目指す志向が止まらない。
コロナもそうですよね。
アジアはなんとなくゼロ志向。
欧米はゼロではなくて
Withコロナ路線で
全体が前に進まないほうを
逆に許さない。
人間の生命単体ではなく
人類というか、国というか。
なんか視点が異なっていて
全体もそれで納得して
動いている感じもする。
役目をどこで終えて繋ぐか。
終える為のサポートも十分でなく
何もかも捨てがたいまま
なし崩し的に、時が過ぎる。
日本の人口もいまの半分くらい
6000万人ほどでちょうどよく
方々で、うまくいくはずだ。
だがいまは上がって下り坂の途中。
どうしたって、代謝は悪くなる。
そこをどうやって次に繋げるか。
このままでは単なる縮小なだけ。
人間、保身がはたらくから
うまく世代交代の流れを
つくりだせず、渋滞している。
渋滞している最中も
私たちはどんどん命を
削られながら生きている。
結果的に、生きている
人間の数ほど
活きている人間はいない。
借金、借金というが
ホントにそうだろうか?
現実問題として考えると
まだ人がいるうちに
ビジネスの上に人間を置かず
人間の上にビジネスを置く。
そういうイメージの取り組みを
しておくべきだと感じる。
どうも私たち現代人は
お金の安心を得ていないと
他人や全体のことを
考えられなくなるのだ。
人間はお金に余裕や安心があれば
必ず、協力的な流れを取り戻せる。
気持ちが変わるんですよ、きっと。
余裕が気持ちにも伝播するから。
そうなると分断は少しずつだが
手を繋ぎ始めると感じるのだが。
この手の問題はなかなか
動きが定まらず、始まらない。
底辺のワタクスよりも
もっと発言力のある人が
もっと本気で真剣に考えて
実行に移してほしいと
願うばかりですね。