いまに始まったことではないが
カネがなければ
生きていくのが難しい。
カネガナキャだ。
人はいるのに、人にカネがない。
だから人が役に立たない
というよりもカネの役にならない。
いや、カネの役にというのが
そもそもの間違いだが、みんな
あきらめてしまっている。
人をカネとみてしまっている。
効率悪いこと、極まりない。
人を安く、なるべくムダなく。
そうやっているうちに
社会が分断されてしまった。
人がまだいるうちに
人がまだ動けるうちに。
諸行無常に抗ってみないか。
日本人は悪くなれば
悪いなりにその中で
うまくやろうという方向に
シフトさせがちになる。
ホントの悪い根源には
目をつぶって悪いところを
何故か受け入れた上で
やりくりしようとばかりする。
人を活かす方法を
前例にとらわれずに
やっておかないと崩壊を
ただ見つめるだけになる。
ベーシックインカムをやると
カネがなくなり、借金が増える?
是非ともやってみてほしい。
ただ、いまの常識の上でやると
必ず失敗する。
頭の良い人間たちは必ず
この失敗を繰り返す。
押してダメなんだから
引くんだとわかっていても。
もう押すのは限界で
引いてみる取り組みを
する選択肢しかないのに
やらないんですよ。
前例がないからね(笑)
そもそも国のチカラを100とすると
市井の人を救えるチカラは現在は
少なくとも1000必要であろう。
百に千を乗せるには無理がある。
それでも中央から地方へは
譲る意識より正しく間違えずに
やることを優先するだけだった。
無理に無理を重ね続けると
どうなるであろう。
言うまでもない。
いまのオミクロンだってそう。
デルタの上にオミクロンを重ねて
四苦八苦している。
デルタバイアスが強すぎて
決断できない政治家ばかりです。
働くにしてもいまのしくみの上では
十分な賃金と余裕は得られない。
これは都会も地方も無い、全てそうだ。
働けない人、働かない人
働くけど思うように稼げない人
働きたいけど、いまのしくみでは
働きたくない人、さまざまだ。
いまのしくみのでは
救えない人ばかりでも
私たちはやることを一生懸命
やっているんだと言う。
違うでしょ?やり方を
相対的に考えろよという話で。
監督や戦い方が変われば
選手の顔ぶれが変わらなくても
チームは好転しうる。
スポーツと政治や社会は違うと
言うかもしれないが
本質は同じだ。
人間がやることだから。
私たちも何度も見てきたはずだ。
日本は戦術を固定して
戦術に合わない選手を
控えに置き続けて
活かせないまま腐らせる。
腐った部分をそれとなく
気づかれないように切り離し
ボトボトっと垂れ流したまま
そしらぬふりして進むだけだ。
いつしか戦術を国民も研究し
戦術に見合う人や位置に
他人より優位に立とうとして
内向きな争いの姿勢を強めてきた。
その結果、ひとつの戦術以外は
戦う術にはならないのだと
決めつけてしまった。
戦術をややこしくして
理解できる者や物だけを
大きな粒だけすくい上げるように
網の目の粗いザルで
落とし続けた。
崩壊させて国力を失い
アジアの大国に何もかも
無慈悲にかっさらわれる。
その現実は近くなるばかり。
と同時にカセガナキャとなる。
カネガナキャ、カセガナキャ。
いまの構図で現状を変えるのは
至難の業(わざ)である。
世知辛い世の中は
カネがあれば
「死なんの技」で乗りきれる。
だがそれも通用するのは
国内だけの理屈であり
他国は内政に不干渉とあって
誰も救おうとはしなくなる。
人が居なくなる前に。
人が役に立たなくなる前に。
やっておくべきチャレンジが
あるはずだ。
これからどんどん人が
少なくなっていく。
動けない人が増え続け
勝ち組以外の多くの人は
健康寿命がどんどん削られ
体力を失っていく。
カネと機会のバランスが
崩れたまま半世紀過ぎた。
このあたりから悲劇の結末は
ようやく顕在化してくる。
顕在化してから対処したり
津波にさらわれてから救おうと
アクションしてみせるが
時既に遅しを毎度、繰り返す。
政治家も国民を支援したいのか
そうでないのかがイマイチ
伝わってこない政策ばかりする。
やはり管轄下に置く人間の数が
多すぎるのではないか。
百に千を乗せるからだろう。
管理しようとするから逆に
管理できないキャパを超える
事態が次々と重なっていく。
そろそろ重たい荷物の運び方を
学んで、実践してみたら
どうだろうか?
国や法律を通して
出きることだけして
やりました、ではなくて。
国を通すのも前提を作ってから
動かすのも遅すぎると
過去の結果が突きつけてる。
ずっと突きつけてるんです。
もっとちゃんとやりましょう。
「ちゃんと」の意味を
理解できるチカラは
あるはずですから。