いろいろと言われることも
あったからなんでしょうけど
今回のトンガ絡みの津波報道。
新型コロナ以降から定型化した
口元の見えるマスクというか
フェイスガード的なものを
会見で何度か目にしました。
事態が緊急を要するもので
伝えなければいけないことが
多いんだろうとは思います。
しかし発表している人は
下を向いて資料を読み上げ
口元はキチンと見えないまま。
なんなら少し曇って見えづらい。
口元を見せることが良いことではない。
配慮している行為が良いことでもない。
伝わらなければどんなアクションも
意味がないんですよね。
聴覚障害の人に対しての配慮として
十分に口元が見えない状況では
やったとしても意味がない。
あれはカメラ等に対して
顔がキチンと見える状態で
曇らずクリアに見える状況で
しゃべり続けるのでないと
まるで意味をなさない。
特に緊急に伝えるべき状況では。
だったらマスクは通常のでいい。
資料を見ながらでもいいので
リアルタイムで字幕でフォローして
画面に出せるようにしたほうがいい。
いまの技術ではできないことはない。
むしろそのほうが効果的に伝わるはず。
ルールを守っていればいいのではなく
ルールではなく伝える相手、
画面の向こう側の人の立場を
想像していないからだと思います。
国民全体に対するライブでの
報道の意味を考えてみれば
大事なことは何か。
報道各社に対して
スムーズに伝えることでも
正しくルールを守ることでもない。
もちろん報道各社が聴きたいことを
各社に配慮しながら伝えるような
運用ルールを遵守することでもない。
緊急時に伝わりやすくすること。
メディアを通し、国民全体に対して。
本当に大事なポイントは
こういうことではないですか?
テレビをつけて観ていましたが
資料の紙をモニターに映して
伝えようとしているが
手間取ってイマイチ伝わらない。
さらに画面の端で資料自体の映像が
見にくいままの状態だったりする。
通常、話す人を映したいのは
もちろん大事なんですけど
伝えたいことが資料の画面なら
資料の画面を映して人を外す。
それくらいの判断があっていい。
報道各社に伝えようとするあまり
国民全体にはわかりづらくなって
伝わってしまっている現実がある。
人と資料どちらも映そうとして
全体が観づらい画面にしてしまってた
そういう局もありましたね。
こういう状況のときの瞬時の判断。
すごく重要でアドリブ的に対応する
能力が最も大事なんですよね。
定められたフォーマットを
無意識に優先してしまっている。
瞬時の判断はたしかに難しい。
ルールがあってそれに則って
やるほうがやりやすいかもしれない。
しかし、今回のようなケースで
もっと大規模な自然災害の際には
ピリピリして張り詰めた緊張感の中
もっとシンプルにわかりやすく
国民全体に伝えなければならない。
この期に及んでもルールを重視して
伝わるかどうかが、ぼんやりするような
報道の仕方はやめた方がいいです。
頭のヨシアシではこういうことは
判断できるものではないので
なるべくなら瞬発力のある人が
現場にいてほしいなと感じますね。