フードロスの問題。

私たちはどこかで

しょうがないと

思うようになってしまった。



基本的には食に限らず

ぜいたくになったから

ですよね、きっと。



金銭的なぜいたく

ではない。



整いすぎて

用意されすぎた。



用意されすぎたまま

続けていくと崩壊するよ

と警鐘されても

ドコフクカゼ。



本当はこれで人間は

考えを改めなければ

子や孫の世代が困る。



ホントはみんな誰しも

わかってるはずのこと。



みんな気づいてるよね。

でも自分の人生の快適だけ。

これはなかなか捨てられない。



でも、やめられないんだと

言い訳して続ける周囲に

みんなも流されてしまう。



なかなか決断できない。

私たちがいまやってることは

こういうこと。



「でもやめられない」が

いろいろと混ざっている。



わかってるけど、それでも

やめられない。



便利な日常を目の前にして

でもやめられない。



「それでも」は人間全体。

「でも」は人間単体。



あまりに複雑になりすぎて

「それでも」と「でも」

人間全体と単体の欲が混ざる。



止めると困る人が多すぎて

止められなくなってしまった。



どちらか一方でもなく

どちらも捨てずに

両手いっぱいに持ったまま

助けられたい。



定員オーバー、重量オーバーの

ハコブネに持ち込んで乗ろうと。



私たちは便利な時代に生まれた。

幸か不幸か、わからないが

先人たちのおかげである。



満足のいくものを手軽に

手に入れられるようになった。



便利なものや、快適なもの。

おいしいもの、維持できるもの。

昔とはエライ違いです。



生まれてこの方、右肩上がりに

便利なものに囲まれ続けるため

次から次へとラクなほうへ。



利便性にあぐらをかいて

無しでは生きていけないと

感じさせるようにしてきた。



企業もそうだ。

自分たちの有利なほうへ

はたらきかける。



この技術や商品を使えば便利。

買ってください

使ってください。

どうぞ、どうぞどうぞ。

三流のダチョウ倶楽部。



これから先の、世界は地球は

ほぼ間違いなく食糧難になる。

食糧のための戦争が起こるだろう。



かつての戦争から100年

時をこえて再び同じスローガン。

「ぜいたくは敵だ。」



皮肉なもので私たちは

違う意味で使うことになる。

これも人間の世界のサダメなのか。



いまのうちから家庭菜園。

やっておいて損はない。



そのうち野菜が盗まれ

家庭菜園に監視カメラをつける

そんな世の中にさえなる。



いまはまだわからないだろう。

手軽に手に入れられるぶん

丁寧に扱わなくなる。



新しいものを常に買わせようと

企業側もしてきたしね。



常に良い状態のものを

受け取って当たり前

みたいな感覚になっていく。



このぜいたくは依存症レベル。

グレードダウンを許そうとしない。



維持したままやろうとばかり。

それじゃ叶わない、敵わない。



環境のぜいたくって

自分からはなかなか

変えられないものですから。



だからこそ、ムリヤリにでも

やると決断しないと

動かせないことですね。



人類はできるかな?

そんなこと。



良い悪いだけではなく

根本から意識を変えないと

フードロスやSDGs問題などは

実現ができないと感じます。



ファクトはないけど予感が。

たぶん、ふつうにちゃんと

やろうとすると失敗する。

その可能性が極めて高い。



人間が考えるのは残念ながら

いまの状態をなるべく維持し

簡単にラクにできるように

叶えていこうとすること。



この意識を捨てないかぎり

フードロスとも環境問題とも

向き合うことはできない。



既存のアドバンテージを

私たちが自ら手放す覚悟がいる。



できないでしょう(笑)

でもやらないと壊して終わる。



必死に私たちは頑張って

環境問題やSDGsに取り組んでいると

アピールしたところで

その程度では甘い、甘すぎる。



利便性を放棄する

逆行するくらいでないと

子や孫の世代は何もかも無くす。



いや、それ以前にその頃

用済みで用無しになるであろう

私たち、年寄りたちは

残念ながら捨てられるだろう。



倫理観でメシは食えない。

それもまた、仕方ない。

責任の取り方のひとつ。



利便性にあぐらをかいた

私たち世代の報いを受け方

代償の払い方なのだろう。