コロナが再拡大してますね。
オミクロン株とデルタ株。
重症度の違いがまだハッキリしない。
不確かな状態で取る対策としては
厳しめになったとしても
慎重な国民性の日本では
間違いではないのでしょうね。
デルタの印象が強すぎるから
ヘンな話、格下の相手にでも
慎重になり、尻込みしながら
安全な位置から突っつくみたいに
消極的になってしまう。
ただ、慎重になりすぎて
攻め時を決断できないのも日本。
政府もそうですが国民性というか
国民全体の雰囲気に慎重さが
見てとれるんですよね。
多少、デルタバイアスみたいなのが
脳裏に焼きついていますから。
まだよくわからなかった2020年の
春先は警戒心が薄かった。
あれから怖さを知り何度かの波と
ワクチン接種を経ていまに至る。
たとえ重症度が低いとしても
最初は慎重にならないと
あとで何言われるかわからない。
その気持ちが強く出るのではないか。
外国との比較をしてしまうと
日本の向き合い方とは
少しニュアンスが違うことに
気づかないでしょうか?
外国は警戒はしてるけど
経済を止めない攻めの姿勢の色が
強く出ている気がします。
それと日本は同じシステムを
重宝したがるクセがあり
自在性が著しく低い。
スタートするまで時間がかかり
エンジンがかかって安定走行に
なってからになる。
そのラインをみんなが
行儀良く列を乱さずたどるため
そこからゆっくりと着実に
成果を出してくるんです。
外国はそれぞれの
国民性の違いもあり
マユをひそめる素振りすら
感じられない印象の国もある。
日本は国民の不安な心理の鎧を
政治家も強引に脱がそうとは
してこないから。
参院選の損得勘定もはたらく。
どちらがいいかはわからない。
ただ1億人以上の国民を抱えて
失敗を怖がりながら
慎重にしすぎると?
また私たちはどこで
攻めに出たらいいか
わからなくなってしまうのでは?
この数十年の停滞の原因は
攻め時に攻めに転じられない
消極性だったように思うが。
国民性に合わせすぎて
ゼロリスクを追求しすぎた結果
停滞から脱却できないのでは?
おそらくゴーサインのラインが
他の国より厳しく設定されている。
魔法か催眠術をかけられたように
全体がうまく動けないままになる。
おそらく、感覚としては
私たちがまだダメだと感じる時は
他の国はゴーサイン出てる。
日本がゴーサイン出したときは
もう遅れてしまっていて
致命的な後れをとったまま
追いつけずに相手が先にゴール。
私たちはいつも、もう少し早く
動いていればなぁと反省する。
それでも同じようにまた
何か不測の事態が起こったとき
ゴーサインを遅らせてしまう。
その繰り返しをしているように
感じてしまうんですよね。
コロナを相手に日本という国は
コロナをキライであり続けるあまり
せん滅させようとケンカする間柄。
外国はキライはキライだけど
人間と同じで、たとえキライな人でも
日常、顔を合わせて付き合うんだし
全部シャットアウトしないよって。
ゼロにしようと思わないから
もしかしたらうまくやれるかもしれないし
まぁ仲良くやろうよと長い目で付き合う。
そういう決定的なスタンスの違い
意識の違いみたいなものも感じますね。
本当のウィズゴロナって
なんだと思いますか?
おそらく悲観的になりすぎず
マジメすぎないことが大事なのでは?
多少の犠牲を共通認識として
やむを得ないと認めながら
全体は、前に進もうよ
じゃないと全体が死ぬよ?って
思い切って舵を切ることでは?
私たち日本人にとっても
難しいことなんだろうなと
つくづく思い知らされてしまう。
たぶん、世代が変わったとしても
同意を得られない永遠の課題
のような気がしますね。