いよいよ最終回となる

ドラマ「最愛」ですが

考察が好きな人のこころを

くすぐり続けている。



ヤホーの記事なんかでも

ドラマの考察の記事を

上げれば見てくれると踏んで

たくさん書かせているのも

想像に難くない。



考察って行動や心理を

ちょっと考えてみる。

これも考察か(笑)



言ってみれば

当事者じゃない

第三者的なポジション。



だから意見しやすいし

客観的に考えやすい。



あれこれと他人のことを

材料を集め研究して

ゲーム感覚で推理しながら

解いていく。



気楽なんです、きっと。

自分のことじゃないからこそ

気楽に入っていけるみたいな。



これもストレス解消に近い。

ストレス解消というと、まだ

ピンとこない人が多いでしょう。



「あな番」あたりから加速した

考察という行動や心理。



ワタクシも想像で書いている。

調べて書くのは逆に面白くない。

絶対、やらんだろうなと(笑)



現実を代替する何かを

現代人は欲している感じで。



何かに夢中になりたい

自分を夢中にさせておきたい

そういう心理が隠れている。



自分の問題は自分で解決できない。

でも他人の問題には興味もあるし

解決したい欲求を満たそうとする。



実際、そう言われると

そう思えなくもない感じ

しませんか?



ドラマとはフィクションである。

人生とはノンフィクションである。



フィクションだと楽しめる。

ノンフィクションだと楽しめない。



夢中になれる何かを見つけられない。

夢中になる何かを誰かからもらいたい。

没入感を満たして現実を逸らす。



提供待ちで、問題集の設問のように

出されたら答えようと勉強する。



ゼロイチができない日本人

というネタを書いたこともあるが

ゼロイチ=ドラマ。

とイメージすればよい。



日本人が得意なのは

1から2や3にすること。

二次的に行動するパターン

みたいなものが強くある。



外国の文化を日本に持ち込み

日本独自の発展を遂げるみたいな。

食文化等々いろいろそうでしょ?



基本となるベース、ゼロイチ。

コレはなかなかつくれない。



しかし、基本を学んでの、

応用や発展が得意で

研究熱心な性格が

功を奏した結果が

コンニチの日本だ。



つまり根強い二次的行動が

考察ブームには隠されている。

全体としてはそんな印象。



考察に熱を上げるのは

それが日本人が取り組みやすい

パターンだからです。



だから現在私たちが抱える

さまざまな問題もおそらく

誰かが提示してくれるまで

大衆は自らは、動かないんだと思う。



結果、コロナ禍から新たに

再起動する必要性があっても

既存の延長でなんとかしようと

試みが強く、何十年と失敗してきた

これまでの歴史と同様になるだろう。



その思考が染み込んでいるから

こよなく定型パターンを愛し続ける。



いくら新しい提案があっても

成功例を学ぶ、真似できないと

動いていかないんです。



だから単独で成功して

なおかつ、二度三度と

成功してパターンを確立しないと

動きは起きてこない。



なぜなら日本人は自分が

取り組みやすいパターンを

求めているから。



初期設定の段階で

組み込まれていないと

自分たちで活かすことが

できないのではないか?



国民性みたいなものが

この考察ブームにも

隠されている気がしますね。



ちなみにゼロイチは

必ずしも純粋なゼロではない。



周囲の至るところに

少数派という小数点で

存在していることを

忘れてはならない。