動画の再生回数を
重ねれば重ねるほど
知らず知らずのうちに
刷り込まれ依存が高まる。
信じて疑わない自分に
疑問を持つことも忘れて。
歌を浴びすぎなんですよ。
昨今の流行している歌は
動画で再生回数が
いくつだなんだと
繰り返されている。
依存度が高い人ほど
繰り返し毎日、事あるごとに
視聴しているのが想像つく。
たしかに質の良いものを
いつでも手軽に何度でも
取り込めることは便利。
しかしなんだか、逆に怖い。
ひたすらに歌詞の世界観に浸り
賞賛、批判の歌合戦。
セチガライ世の中のハケグチ。
あるいはヨリドコロになっている。
余計なものなどないよね~って
鼻にかかる声で歌っていた時代と
エライ違い。
可視化の悪いところで。
余計なものが乗っかり続ける始末。
動画は依存度が高い人には
ある種の毒性が強い。
発信する人の激増によって
過激さも増していく。
すでに自分で判断する力が
退化し始めているのでは?
その自分の姿を斜め上から
客観視したら?と、たまに思う。
ちょっと異様な雰囲気だよなと。
わかっちゃいるけどやめられない。
音楽も四六時中も好きと言って
垂れ流しにしてしまうと
価値が下がってしまう気がしません?
ありがたみがなくなるというか。
イレコミすぎないように
自制する必要もあるのでは。
いまの音楽の動画を観ると
中毒性が増す仕掛けが強く
あとはおのおのの判断で。
っていうスタンス。
結局、動画ってキリが無くて
どんどん時間を忘れて観るように
提供され続けるでしょ?
止めるのも、進むのも自分。
若い世代が吸い込まれるように
動画の君に夢中になっていく。
誰かの完成品を批評しつつ
気持ちの良いものだけを
好きなものだけを取り込む。
目に見えていないけど
結構怖いことなんじゃないか。
目と耳をすでに操られ
そこから脳を奪いにくる。
歌の世界に浸りやすくなり
好きな歌を手軽に持ち出せる。
便利すぎて逆に怖い。
止まらぬ進化を続けるものの
止まらぬ依存度が気になる。
音楽から離れる瞬間があれば
自分で考える時間が生まれる。
いまは逆に落ち着くのかも?(笑)
無の時間をあえて持たなきゃ
バランス取れなくなりそうに思う。
なんでもそうだが少し距離を置く。
時間に空白をあえてつくること。
ボーダレスでエンドレスな
時代だからこそ
逆に無の時間がいまは
価値があるよな~と。
もうそっちに流れている人も
増えてきてる予感もしますが。
すでに気づいているでしょ?
昔の歌の歌詞を少しだけ
サブリミナル効果じゃないが
散りばめてみました(笑)
これはあえて言わんほうが
おもしろいんですけどね(笑)