たとえば、職業数を固定する。
定数を決めて業種を制限してみる。
その地域内限定で物を
売り買いするように決める。
職業選択の自由に制限を加え
地域内で流通を循環できるのか。
そういうまちづくりがあったら?
たとえば非正規などで苦しい生活を
送る人たちをその地域に集める。
まずは生活に必要な職業だけで
スタートさせてみる。
経過を観察して分析しながら
あまり揃えすぎないようにする。
利便性を追求せずに
人が必要最低限で暮らすために
必要なインフラの程度を考える。
すべてを揃えすぎないというのが
ひとつポイントになる。
生活資金を毎月給付して
少しグレードダウンした
まちづくりでこれから人は
暮らしていけるのか?
これを考えてみるのも面白い。
あれはダメ、これもダメとは
言わずに自分たち自身で考え
議論しながら、強制されない
共生の道を探るんですよ。
コマゴマしたことを決めすぎず
用意しすぎずに、時間をかけて
足していくというのもポイント。
スマートシティより不便だが
より賢いのはどちらだろうか。
ちまたで言われるスマートシティと
真逆の発想で始めるのも面白い。
あれもなければ、これもなければ。
テクノロジーを全部ぶっこんでも
満足しない人間たちの、真逆へ。
政府や企業が自分たちの製品や技術を
あれもこれも使って食い込もうと
してくる世界とはまったく違う。
「なければ」は
なくてもいいんだと知る。
それこそホントの
細い意味のスマートと
賢い意味のスマート。
両方を満たせるホントの意味での
スマートシティではないのか。
持てるだけ持って、持ち込んで
自分のステータスを下げずに
あれもこれも欲しがるのが人間。
「普通すぎる」発想ではないのか?
その程度でうまくいくはずがない。
実現させようにも無理があり
結果的に選ばれる一部の人間しか
救えないまちづくりになる。
そう、手詰まりしたときは
真逆の発想だ、忘れたか現代人。
足して、足していくんじゃなく
引いて、引いて最低限まで戻す。
その発想を持てなくなったよね?
そこから必要なもの
ガマンできるようになるもの
断捨離する感覚で気づけること
想像してみると最初は
ツライかもしれないが
人は条件に慣れていく。
営利に満ちたスマートより
鋭利に研ぎ澄まされた感覚で
ホントに必要なものだけを。
人は条件が少なくても生きられる。
持続可能の真実の意味は何だろう。
全部持ち込んで詰め込んだ未来か?
一度削ぎ落して、最低限を体感して
そこから持続可能な地球と人間が
歩む共生する未来か?
人間は欲ありきで
崩せない前提にしてしまって
積み上げるから
何も捨てられないんですよね。
過疎化した地域をまるごと
真のスマートシティにしてみる。
過疎化した地域を活かすならば
あまり積み上げたものがない
自然の残るほうが好都合だ。
非正規に苦しむ人々が
自分の手で自分たちの人生を。
最低限、最小限からデザイン。
このほうがよっぽどスマート。
頭のいい奴らやカネのある奴らは
全部のせ丼のスマートシティを
勝手につくればいいさ(笑)
どっちが人間と自然
いや、自然と人間にとって
未来ある持続可能の真意を
汲んだ取り組みになるのか
言うまでもないと思うのだが。
アイデアはみんなで出せばいい。
何もないところに、自分たちで
アイデアを足していくほうが
面白いしワクワクするし
やる気が持続可能だろう。
足しても足してもキリがないぞ。
日本の頭脳たちはすぐ足したがる。
だったら最初から足せる領域が
多い人たちが自分で描くほうがいい。
ホントのスマートシティは
真逆の発想にこそ、ヒントが
隠されているのではないか?
できないことはないでしょう。
人とやる気と、自分たちの最低限で
窮屈すぎない人生を送るほうが
よっぽどいいと思いますよ。