私たち日本の社会ではこの何十年と
ごまかしながら維持しようとした。
そのツケがいよいよ顕在化する。
いまのしくみを維持しようと
する以上は改善は難しい。
同じ生活を維持するのは
どんどん難しくなっていく。
目に見えてくるのは形骸化。
これまでのしくみに依存すれば
しくみによって維持できなくなった
活動する場から音が消えていく。
音が消えるとは
人が居なくなるということ。
もうすでに始まっているだろう。
そうやって場が死んでいくなかで
人はにぎわいのある場に集まる。
どんなに苦しくても
どんなに混雑していようとも
にぎわいのある場に集まる。
結果として競争が激しくなり
活発なように見えても
実は敗者が増え続けていくだけ。
人は生活の維持に腐心しながら
気づかぬうち、競争の激しい渦に
どんどん巻き込まれていく。
人々は積極性を失いながらも
緩やかに枯渇していくのを
耐え忍ぶことしかしなくなる。
まさに悪循環の至り。
変えてほしいのはヤマヤマだが
変えるのにリスクがあれば
人は現状維持にシフトする。
現状維持では厳しくなるのも
わかっていながら動かない。
リスクと現状を天秤にかけて
まだマシなほうを選択する。
これではまったく変わらない。
人に必要なのは生活の後ろだて。
大衆が財布のヒモを硬くするように
国も硬くしてしまうようでは
元も子もないでしょう。
賃金を上げても相殺されるなら
やり方は間違っているとしか
言いようがないんですよね。
国の舵取りとともに
人が動きやすくする
後ろだてをしないと
事態は好転していかない。
まだやる気ある状態なんですから。
ただ、このままの状態が続くと
人々はやる気さえなくしてしまい
手遅れになってしまうでしょうね。