防災意識はもちろん大事だ。
だが日本人の意識はどこか
借りてきたネコのよう。
防災意識は高くするのはわかる。
だが普段から足りないと感じるのは
最悪な事態が起こったあとの
冷静さと想定外へのリアクション。
身を守ることに重きを置くのは
当然必要なんでしょうけど
大事なのは事が起こったあとの
一言でいえば、胆力なのではないか。
考えるにつれてそう思うに至った。
物事に動じない気持ちや
周囲を落ち着かせる互いの
冷静な優しさ、とでも言うべきか。
買い占め騒動など一定数の
混乱する人の動きが起こるのも
当然だとしても。
問題は、そこから先を
国や行政を待つばかりではなく
自分たちでできることを
冷静に考えて実行できるかだろう。
国も行政も人間であることは
一緒なんです。
むしろ人間の数でいうと
国や行政以外のほうが多い。
彼らだけでは手が回らない事態
それが災害時であろうと思う。
もちろん必要以上の行動で
二次災害を大きくしてしまうから
それを避けるために国や行政は
私たちに従ってくれというのは
間違ってはいない。
しかし、それだけでは
どうしようもないときもある。
そのときに私たちにできる範囲内で
行動する意識が薄れている気がする。
この判断はすごく難しい。
人の心の動き、意識が重要で
攻める気持ちと守る気もちを
不安のなかで抱える私たち。
現代は情報は届くようになった。
しかしこうだと伝えるだけで
それ以上もそれ以下も
伝えようとはしないのが
メディアである。
不安を大きくする情報や考えを
極力削り落として、ひたすらに
現在の状況を伝えることに腐心する。
このスタイルに飼い慣らされた
私たちは自分で判断することを
やめてしまったような気がする。
決断できなくてストレスに感じて
考えないようになってしまうのは
何も災害時だけではない。
私たちが日常から出くわす
混乱に対する全体が抱える問題だ。
東日本大震災で見られた各地の
混乱の状況は記憶に新しい。
人が自分の事を優先しながら
行動すると途端に混乱が生じる。
そのあと私たちは混乱を
大きくしても仕方ないからと
犠牲を払いながら
はやる気持ちを抑えつつ
長蛇の列に並ぶようになる。
だがどこか受け身的に
あきらめが強く感じられる。
もう少し協力し合えたら
急(せ)いてしまう気持ちを
互いに和らげることも
できるのではないか。
気持ちに冷静さを欠くとき
人は優しさを忘れて
欲を制御できなくなり
混乱を大きくさせてしまう。
そこまでわかっているのに。
そこから先を協力して助け合う
ということができていない。
冷静でいられなくなるからだ。
冷静になればわかることが
究極の場面でできなくなる。
このことは私たちも人生の過程で
受験やスポーツの試合などで
感じた人も多いのではないだろうか。
うまくやろうとする気持ち。
最小限にマイナスを抑えるために
準備しておくことだけではない。
うまくできないなかで冷静に
やろうと立て直す気持ち、意識。
こちらについても普段から
考えておくべき必要があると思う。
非常に抽象的で申し訳ない(笑)
だけどこの起こったあとの
人間ができる範囲内で冷静に協力して
気持ちも状況も立て直すこと。
これは災害時だけでなく
アフターコロナの状況においても
共通しているポイントで
課題なのではないかと感じますね。