やはり全面解除となってから
どうしても元に戻す満足感が
上回ってしまうのだと感じた。
通常営業できる喜びを隠さない。
大衆もコロナ前と変わらないような
生活スタイルを渇望しているから
喜びを隠せなくなってしまう。
なんだろうな、元には戻るけど
決して良くはならない程度に戻る。
それでも良しとしようと考える。
満足のいくものではないけど
病気を根治するようではないけど。
それでも満足したい欲求が勝つ。
まだマシなほうを取りたくなる。
難しいことなんでしょうけど
社会のしくみを劇的に変える
まではいかずに終わる。
また、元のしくみに吸収されて
元通りのカタチに戻ってしまう。
残念ながら、いつもこの繰り返し。
コロナ禍のときから危惧していたが
やっぱりこうなるんだなと感じた。
大きな流れすらもつくれないし
つくろうとしても戻すチカラが
上回ってしまう修正力が強い。
コロナ前から問題になっている
硬直化した社会のしくみ。
そのしくみに生まれるひずみ。
自分より低い目線でみると
たくさんの人が苦しんでいる。
それでもいまの延長上が
わかりやすいからと選択する。
めんどくさいことを毛嫌いする。
これでは何も進まない。
新しいしくみで動かす気概も
元に戻すチカラに負けてしまう。
平成、令和とやっぱり流れは
変えられないままなんですよ。
人間は本当の危機に直面していても
やっぱり目の前のラクな選択をする。
自分を変えずに楽しみたい
できるならずっとそうしていたいと。
ラクというのは、楽しくなくても
安定やまだマシなほうを選択すること。
いまや、このほうがまだマシだ
くらいの感覚で妥協して
認める人が増えたのでは?
国と大衆。どちらか一方が
変えようとしても変わらない。
しくみがゆがんでしまっていても
しくみを優先して動いてしまう。
この修正力に長年、逆らえない。
国民は大きく変えることによって
「まだマシな現実」を失うことを
望んでいないのだから。
だからこうなるんです。
変わらないけどもっと悪くなるより
まだマシなほうをという意識がはたらく。
これは選挙などでもあらわれる心理。
次にマシな人を選ぼうとする人が多い。
そうじゃないんですよね。
忘れてませんか?
いつもそれで選んで何十年と
変わらないという事実を。
マシな人ではなく、マジな人を
選びましょうよ、一回やってみないと。
マジな人が誰かは
目をみて声を聴いて
自分で判断しましょう。
それが自分のチカラになる。
まだマシを選ぶ背景には国が生活を
保障してくれるしくみではなく
積極的に協力したところで
ケツは自分で拭くという責任が
つきまとうからだろう。
言ってみれば、協力したいけど
自己責任が伴うリスクがあるかぎりは
協力したくても協力できないんだよ
という大衆のリスクリクツなんです。
だって、どんなに協力したって
スピード感がないし、結局は
丁寧にやろうとしてうまくいかず
自爆してしまうのが常だから。
国民もあきらめ半分いや
政治家が欲しい過半数以上の
あきらめが、やる気を上回ってる。
いま必要な改革を本当に実現
させたいのであれば。
お互いが協力し合う体制を
まずは示す必要があるだろう。
一時的にでも所得をすべての人に
下がらない程度に付与しながら
暫定的に移行期間を思い切って設けて
腹をくくって実行しないと
一生、変えられない。
マシなほうではなく、
マジ(本気)なほうを選ぶ。
本気と書いてマジではなく
マジと書いて本気なくらいに
上っ面感のない本気中の本気で。
私たちも選ぶべきだ。
そうやって国と国民が
協力して新しいしくみを
つくりあげることではないか。
カギとなることは。
変わらない、変えられない。
どちらかに任せる方法だけを
役割分担させながら分けてきたが。
結果的に正しいと判断して
選択し続けても何も変わらず
半世紀以上過ぎてしまった。
環境問題や少子高齢化問題など
何もかもが迫ってくるなかで
常に自己責任のもとに互いに
協力することもできないまま
時間だけが過ぎてきた。
この期に及んでも、ひとりひとりは
やっぱり損はしたくないだろう。
安心、安全を確保していないと
全体が協力する流れすら起こらない。
この取り組みを実現させるためには
まずは徹底して議論をして
議論自体を国民と幅広く共有すること。
ここがポイント。主体的にさせること。
いつもこの共有に本気で取り組まない。
国も、どうせ政治家がやらないと
うまくいかないんだからと
国民のやる気を削ぎ、独占してしまう。
そうなると国民も拗ねてしまうから
勝手にやれば?と興味を失う。
共有して共感できるようにならないと
見切り発車では国民はついてこれない。
また預けっぱなし、任せっぱなしになる。
こういう保証をするから是非ともと。
地域や会社やコミュニティなど
あらゆる共同体を活かしながら
全体が協力するための合意を得る。
そこまで整えてから動かさないと
同時に互いが協力して動かないと
実現はできないだろう。
しかしこのやり方、一度は
試してみるべきではと思う。
できっこないよと言うのは
至極カンタンなことだ。
できないと言う前にやってみる。
ちゃんとビジョンを示して
協力できる共有感覚をつくれば。
これらをまずは持ち上げて
いつも小脇に抱えて走り出せるのは
政治家だけである。
特に国会議員であろう。
政治家がまずはアクションを
起こさないと協力は得られない。
私たちも年だけとって
お荷物になるのは御免だ。
齟齬になりそうなときは
互いがあきらめないように
「ひとつ不利なことを受け入れる」
相手に対してこうやって
一歩譲ることも大事になるだろう。
あれもこれもイヤ!納得できない!
これではもう、子どもと同じだ。
子どもでも、もっと協力するだろう。
もうオトナなんだから、協力しあおうよ。
未来の子どもたちに言われる前に。