ドラマ「最愛」観てますかね?
なんの情報もなく観始めたんですが
すぐに「N」の既視感が襲ってきた。
「Nのために」は好きなドラマだけど
なんというか、同じのを観たくない。
この複雑な気持ちがあるのであーる。
そんなちょっとイヤな感じを
持ってしまうワタクシのような人も
いたでしょうね、きっと。
安定の父役、光石研(笑)
同じパターンにすぐに気づいたので
どうなることかと思いながら観てた。
演出とか映像、光の加減が同じだ。
同じ人たちがつくるから
似てしまうのは仕方ないのだろう。
視聴者の期待をいい意味で裏切る
なんか「やられた~」とこれから
言わせる展開になったらいいな。
でも同じ制作チームパターンで
始まった「真犯人フラグ」は?
「あな番」と似てオリジナル脚本。
「答えを知らない面白さ」に対して
私たちは興奮するようにできている(笑)
やっぱり原作があるものは、なんか
興奮しないんでしょうね、きっと。
そういう意味でいうとSNSなどで
エスカレートしていくという現象で
展開していくのは秋元康にしては
若干、タイミング遅くね?って思う。
みんなが気づきそうで
気づかないときにその角度で
展開していったら興奮するんですよ。
でも、ネットでの拡散や
SNSでのエスカレート現象。
おそらくこの、人の心の悪が
加速するなかでの物語でしょう。
もう少し前4~5年前くらいなら
あまり知られていない気づきとして
タイミングよく興奮できたのに
と思ったんですよね。
すでにこのエスカレート現象は
社会問題として認知されてしまった。
「認知されてしまった」ということは
ちょっとタイミング遅いと思うんです。
もしかしたら「あな番」と時期が
逆だったらまだよかったのかな?
タイミング的には、認知されて
みんながわかっている現象が
展開されるのは微妙に興奮しない。
なんかおかしなことを
イウトリマスケドモ(笑)
このニュアンスが伝わるのかな。
ワタクシはプロのクリエイターでは
ないのでわかりませんよ?
でも、みんなに認知されすぎた現象を
取り上げるのは、ちょっと遅くない?
たぶんこんな展開になるんだろうと
ある程度予測がついたりしますし。
「現象からの展開」が読めてしまう。
ホントは大衆が現象に
気づくか気づかないかの
タイミングで放送できたら
もっとよかったのかもしれない。
このSNSを中心とした現象を
私たちが認知する前に
「言われてみればそうだよな」的に
視聴者が気づくと興奮するんです。
もう興奮ばっかり言ってますけど(笑)
なんか秋元康にしてはその
タイミング、ヘタ打ったんでは?
って思ってしまいましたね。
まぁ、こちらのドラマも
これからどう展開していくかは
わからない段階です。
ヤリクチに既視感がないほうが
興味やその根幹にある興奮が
長持ちするんではないかなと。
引き込ませ方って難しいですね。
あ、知ってるコレ。
って感情はやっぱりちょい冷める。
共感は得られるんでしょうけど
ちょっと似た既視感があるからか
パンチが足りない、驚きが薄くなる。
え?なに?この感じ、
どうなっていくの?
って興奮に劣るのは間違いない。
別の話題でも書きましたが
2度目ってやっぱり鮮度が。
送り手は最新で鮮度があっても
受け手に既視感があったら
鮮度はやや落ちてしまう。
2度目以降の緊急事態宣言もそう。
明らかに慣れてしまって不安は不安。
でも鮮度が落ちて伝わってしまう。
オリジナル脚本、同じ制作チーム。
半年のロングランの同じパターン。
だとしてもこちらが想像するもの
以上の何かがなければ
もしかしたら飽きられるかも?
そのへんのいい意味での
裏切りを期待したいところです。