お笑い好きなワタクシにとって

書かないわけにはいかない

笑ってはいけないの休止について。



おそらく他の民放で成功してる

お笑い大型特番の演出好調の流れで

リニューアルしやすい時期だと

判断したんでしょうね。



制限多めのフェス化、何事も。

BPOのネタも以前書いてますけど

その影響も当然あるでしょう。



全体の意見はどうか知りませんが

恒例イベントが好きな人が多い。



あったものがなくなる拠り所の無さ。

変化に対して、受け身でネガティブ。



残念なほうより、次のスタートだなと

ワタクシは「なきゃないなりに」を

モットーに生きておりますから。



新しい番組も楽しみにしているし

ポジティブに捉えておりますよ。



しかし多くの人にとっては

「恒例」がなくなるのも現実。



なにかと、維持ができなくなれば

「恒例」は高齢や貧困などを理由に

終わるものなんです。



これを終われなくしてしまう

雰囲気ってあると思いますよ。

みんな実は、気づいていますよね?



みんながストップかけられない。

なんか止めると責任あるから

恒例を理由に逃げ続ける心理みたいな。



世の中、これで続いているものが

たくさんあると思いますね。

神事とか祭り関係とか、慣習もそう。



誰も辞(止)めようとしないでしょ。

なんでもかんでも、恒例は

一生やり続けなきゃと思ってしまう。



辞めてしまうことの責任や怖さが

ぬぐえないから遠ざけてるだけ。



ただ、辞める決断をした人は

もっと周囲から「逆に」

評価されていいと思います。



ホントは辞めることも評価すべき。

続ける、守ることが評価されすぎ。

偏見が強いよホント。守備心理的に。



日本人は特にそうなんじゃないかと

思うくらい、終わることに対してはね。



離乳食かってくらいに

ちゃんと準備してあげないと

食べようとしてくれないし、

無理にでも食べさせてあげないと

ソシャクしてくれないんです。

もういいオトナなのに。



終わって新しいことを始めるときに

いつも反感を食らうのを嫌う。



ネガティブなイメージや喪失感で

支配されてしまい、負けるから。



人間って知らないものや

普段と異なるものに対して

一定の距離感や恐怖感などを

見せることありますよね。



その気持ちをどうにかしたくて

怒ってみたり、けなしてみたり

あるいは、悲しんでみたりする。



たとえばテレビドラマが好調で

終わってしまった、第二弾を切望。

ついついつぶやいてしまったりする。



結果、期待そのものも実は

そうでもなかったっていう

オチが待っていることが多い。



期待が大きい分、ハードル上がるし

落胆も大きくなる。



すぐに次をあてがう何かを欲して

なんとなく喪失感を埋めたいから

発してしまう発言のいろいろ。



真に受けて第二弾をお金と時間を

かけて制作しても不発弾化する。



気持ちのピークは

別の興味に奪われてしまっていて

もう冷めてたり、厳しい目でみたり。



案外、期待に応えすぎると逆にダメ。

一部の意見を拾いすぎて負荷だけが

増していって手に負えなくなる。



これにやっぱりそろそろ気づくべき。

終われない心理と同居している

負われる負われない

追われる追われない

という心理について。



いまは送り手が意識して

抑えめにしてコントロールしないと

どんどんエスカレートしていく。



受け手の依存する心理は

私たちにとって簡単には

治らないヤマイだから。



だからこそ受け手に応えすぎない

送り手のコントロールが必要で

いま一番大切なことなのかもしれない。