アソートする。
世間的にわかりやすいのは
詰め合わせ、みたいな感じ。
お菓子のアソートパックとか。
他にはソート機能のような
分類するという意味もある。
「麻生と河野」でもある。
河野に若手議員が
派閥を超えて
アソートしているようだ。
若手議員はこれから
現役世代と長い付き合いを
しなければならない。
政治に対してようやく
重い腰を上げてくれた
「であろう」私たち。
「政治初心者」を相手に
票数を獲得する戦いになる。
政党を支持するという意識は
ワタクシ自身もそうだが
かなり希薄になりつつある。
個人が会社に縛られないように。
いや、縛られているからこそ逆に
という気持ちもなくはない。
世間のポジティブな感覚や気持ちは
組織より個に、移行している。
みんなの意見をまとめた本を
冊子にするまで待つ時代ではない。
個々の意見をダイレクトに
発信して、できてしまう時代だ。
組織ありきで行動を制限。
そんな感覚を育ててこなかった
世代がほとんどになっていく。
時代をみる上で大事なポイントだ。
比例選挙みたいなやり方も
時代錯誤になってしまうだろう。
票を持つ国民の世代が変わる。
誰々を支持するけれど
党は支持しない人が増える。
繰り返すが、家族単位から
個人単位に移行した世代だ。
「組織より個」を実現した世代。
個で実現できた体験が多いほど
組織の面倒さを生理的に嫌う。
家族で一つのテレビ、電話。
これが昭和、廃れゆく世代。
どんどん最前線からは脱落する。
平成、令和となるにつれて
個々にテレビ、PC、スマホ。
想像してもわかるはずである。
そうなると政治家は人として
どう評価を受けるか?
という個人の勝負になる。
先読みするならば、
これからのお客さん=現役世代
に対してアピールを
しなければならないはず。
選挙のときだけ
いい顔しようとしてもムダ。
みんなすぐ気づき離れる。
支持政党の後押しを超える
浮動票をどう獲得するかの
時代になるのは明白だろう。
世代が変われば、政党支持の
概念すら時代遅れになっていく。
そう考えると、組織から個人へ。
国民の関心が党や組織ではなく
個人、人単体にフォーカスする。
過去の常識や政党という組織に
縛られ過ぎると票を獲得できない。
お客さんを獲得するには
組織の重さではなくフリーの軽さ。
複雑でない、わかりやすくが主流に。
ネットショッピング自体がそう。
地域を限定せずあくまで個人が相手。
日本全国、あるいは世界中からも。
すでに私たちは日々の生活の中で
組織で待つ前に、個人で決めてる。
個人で実現してる「行動履歴」が多いぶん
組織に対するアレルギーが増えてくる。
若い政治家たちは今回はたとえ、
古い組織票を得られないとしても
個人を売り込んでおく必要がある。
先を見据えた先行投資に近い。
5年、10年先は個人に客がつく。
組織は死んでいる可能性が高い。
票数のために重んじていた世代が
すでにベッドの上、それより上に
移動しているかもしれないから。
そうなるともう、組織だけでは
戦えなくなってくるだろう。
組織から個に。
主導権が移る時代が必ずくる。
いまだに派閥、組織という
枠組みを信じて動く
政治家やマスコミは
トレンドの移行を
まだ認めたくはないのだろう。
いづれも過去に成功してきた
パターンを踏襲しようとしてしまう。
積み上げた常識で判断してしまうからだ。
だからこそ想像しよう。
よーく考えよう、お金も大事だが
人の支持も大事だ。
いまの時代、そして
これからの時代をみつめる。
人気という意味で
注目を集めているのは
コーノだろう(河野太郎)
書いてるこのおっちゃん
ダジャレ大好きだな(笑)
まぁいい、時を戻そう。
河野太郎という彼本人、
彼個人に対して注目する。
SNS以降の時代は彼個人を評価して
注目し、支持しているのであって。
うしろにある組織、自民党自体を
評価しているわけではないでしょ?
コーノ単体の評価、支持が見えてる。
組織から個へ。家族単位から個人単位へ。
地域単位から個人でネットショッピング。
もう5年、10年先のヒントが
そこかしこに存在していて、
定着しているんです。
だからこそ、コーノを支持して
逆に個人商店のようなフリー感を
個人をお客さんに印象づけていかないと。
古い昭和的組織に巻き込まれて
飲み込まれてしまうかもしれない。
麻生太郎と河野太郎。
アソートコーノ。
テレビとスマホ。
組織と個人。
過去と未来。
コーノタイプに
人気が詰め合わせされて
コーノタイプに分類される
政治家が残っていく。
もう何も言わずとも
見えてくるでしょ?
文字数が多くなるだけだ。
過去の常識がおかしいと感じたら
ぶっ壊していくんですよ、きっと。
跡形もなく古い建物を取り壊して
コンビニやドラックストアを
どんどんつくる田舎のように。
都会はビルか(笑)
壊して建てると決める人に
権利が移っていくんです。
おそらく常識も変わります。
政党より個人、組織より個人。
アソートコーノ。
麻生と河野、ワタクシは
別に対立させる意図もない。
おそらく対立すらしないでしょう。
たとえそれぞれの支持が分かれても。
時代と次代を担う弟子のやることを
信頼して黙って見守る師匠のような。
ベテラン議員は、党を見てしまう。
党の存続を考えることが
ベテランの役目。
家や墓の存続を思う老人のように。
だから党のほうを向いて仕事する。
でも若手議員は、党を向いてると
数年後、痛い目をみることになる。
だから、党にケツ向けてでも
国民を見ようとしている。
彼らもそれほどバカではないでしょう。
何がどうなっていくか予測してる。
その予測に合わせなくていいのは
終わりに向かう年寄りたちだけ。
若手がそれを見ようと
していないのならば
あえて見なきゃならない。
私たち自身もそういう局面にいると
考えた方がいいと思いますね。