政治家や各都道府県の知事が
真剣に訴えていても無理です。
タダでは言うこと聴いてくれません。
県外ナンバーもたくさん走ってるし
大きな荷物抱えて帰省したんだなぁ
って人も昨日も、たくさんいた。
デルタ株に置き変わっていても
新規感染者数が増えていても。
警戒心は上がるどころか
結果的に下がるという
逆転現象が起きてる。
やはり二度目というのは何事も
違う反応や影響があるものだと思う。
その要因は何なのか?
単純にみんながやってるから自分も
ってだけではない複雑な感情が潜む。
慣れ、初めてのときからの学習など
一度目と二度目では、警戒心が変わる。
一度目は初めてだから
不安心理が必要以上に大きい状態。
その後に初期のウイルスに対する
感染予防対策が定着していった。
キチンと対策していれば問題ない
という気持ちが上回る。
それぞれが日常を取り戻そうと
何かをかいくぐるような気持ちで
普段どおりの行動心理が
時間経過とともに徐々に
台頭していき、定着する。
その対策はデルタ株には対応していない
変異する前の対策なのだとしても。
相手が強くなればそれまでの対策が
通用しなくなるという予測は
私たちも十分に理解しているはず。
感染者が増えればこれまで以上に
慎重に行動すべきだということも
頭では理解しているのだが。
それでも対策して動けばいいという
かいくぐって動きたい心理を
なぜか優先してしまうんですよね。
動いてしまえば簡単には·····。
規模の大きな集団は全体として
動き始めたらすぐに止まれない。
止めようという気すら感じないくらい
惰性で動きが止まらなくなる。
昨年のいまごろは、
感染者が一人出ただけでも
田舎は怖がっていたのに。
地方では東京から帰省した人に
「帰ってくるな!迷惑だ!」
みたいな文書を張り付けられた家が
あったとニュースでやってたなぁ。
お盆の時期、いろんな買い物を
誘発するポイント何倍とかもね。
密を避けたいのに抑えが効かない。
なんだか拍車をかけてしまっていて
みんなが動くから止まれない
大行列のようになってしまう。
地方のほうが人が帰省する分だけ
若干、滞在中の人口が増えている。
さらに休みとなれば
仕事場以外の場所に集まりやすくなり
自ずと密状態の発生率や遭遇率も
高まった状態になっていますね。
自分で自分を制限すること。
時代と逆行する、真逆の行為だから
定着しないし、納得させるのは難しい。
定額や無制限があふれる環境への慣れ。
ストレスをどんどんなくそうと
快適を追求し、享受してきた私たち。
ガマンや自粛、制限をかけられる。
結果は想像しなくてもわかる。
一回目と二回目では言うことも
聴いてくれなくなってしまった。
自分だけ損してるみたいな
感覚が先鋭化する。
自損心?自尊心?
同じイントネーションで
志尊淳?(笑)
各自がいつも通りに動こうとして
お互いを見ながら、じゃあ自分も
って動いて止まらなくなる。
いつも通りできなかったからこそ
少しでも取り返そうと必死になる。
そういう側面も考えられるかな。
あとは、人の機嫌が悪くなったまま
生活し続けていることが
意外とスルーされてるなと思って。
人間って機嫌が悪いときの行動って
ちょっと自分本位になりがちでしょ?
他人にも腹を立ててしまうスイッチが
入りやすくなる。
急に着火して燃えやすくなっている。
相手が嫌な思いをすることを
逆にやってみたりもするんですよ。
ストレスが加わるとね。
憂さ晴らしするかのようにして。
機嫌が良いときに、加わるストレスは
良性のウイルスのような。
すぐに怒りに着火しない。
機嫌が悪いときに、加わるストレスは
悪性のウイルスのようにも感じる。
合併しやすくなってしまうような。
いまコロナ禍に自然災害が加わるのも
同じイメージでは、悪性ですね確実に。
悪性が他の怒りを囲い込みしてしまう。
渇ききった心に二度目の水は
効果があるのかどうかはわからない。
しかし、タダでは人は動かない。
タダでは、人に動くなとは言えない。
そういう状況、局面なんです。
政治家に「賭け」は期待できないが
二度目の給付金という水が
どういう副作用を引き起こすのかは
やってみないとわからない。
また決断できないまま
お願いだけ続けていても
悪くなるばかりであるなら。
リスクありきで前に進める勇気も
なんらかの意思表示として大衆に
伝わるのではないかと思う。
ヤケクソで普段なら触らない
ボタンを押してみるのも
緊急時には功を奏する場合もある。
だって普段使わないボタンは
緊急時に使うためのボタンなんだから。