世の中は流れを待つ人が多数で
流れをつくる人が希少だなと。
流れをつくる人について書こう。
流れを待つ人については
読んでも楽しくないし
書いているほうも楽しくない(笑)
流れをつくる人。
始まりをつくる、促す、刺激する。
そういう人だろう。
流れをつくる人は、0→1の人で
流れを待つ人は、1→2や2→3
日本人は後者が多く、前者は稀。
流れをつくるということは
その時点では流れが無い、
存在しないということだろう。
あるいは、流れはかすかにある。
しかし見えている人が少ないとか
見えづらいから気づかない。
それを軌道に乗せる。
1未満のものを掛け合わせ
うまく活用しながら
1以上にすることもある。
実際はこのパターンが多いが
流れが1以上に可視化されたら
誰でも、わかりやすくなる。
しかし、流れは簡単に都合よく
可視化されるものではない。
後からとか、流れに乗った瞬間に
自分でなんとなく感じるもの。
その感覚にいち早く気づくかどうか。
予測することによって
こうなるかもしれない
って段階から狙ってみること。
これも大事。
だから、ロジックではないし
エビデンスでもないんです。
頭のいいやつらはみんな
エビデンスばっか言うでしょ?(笑)
つまらん個人の上げ下げで。
でもそれじゃいつも遅い。
だからその前で。
気づいて仕掛けるかどうか
そこがホントの勝負です。
全体が浮き沈みする感覚をつかむ。
あっちょっと下がった、上がった。
数字じゃなくて雰囲気と流れ
予測と伸びしろをイメージする。
その感覚を体感できない人は
やはりトップにはふさわしくない。
体感できないと根拠ばかりを求めて
決断できなくなるんでしょうね。
そうやって生きてきたから。
だからほとんどの政治家は失格。
根拠は無いですけどね(笑)
でも根拠の無さが逆にいい。
もしかしたら、という予感や予測。
こういう感覚ってデータが
上がってくるのを待っていると
時既に遅し、な感覚なんです。
正しい手順かもしれないが
エビデンスが揃い始めてから
ほら、やっぱりそうだった!では
遅いことがたくさんある。
いま世の中がコロナ禍によって
大きく動いていることに
どこまで気づけているのか。
いわば早めの治療と予防の意識。
手遅れになってから手を差し伸べても。
手をくれと言う段階でスッと動くこと。
手をくれと言う段階を予測して
それなら何ができるかを考える。
政治家はこのあたりの効果や意味を
まだ確実なものとは感じていない。
感じている人もいるだろうけど
根拠がないとみんな動けないまま。
だから後手を踏むという結果を生む。
ほらな!って後づけで言っても
行動すべきタイミングはその時点で
既に逸してしまっているから。
通常通りなら通用する
従来のロジックやエビデンス。
いつもそうやってきた。
論理や証拠、根拠って冷たいよね。
振りかざすと冷たい風が吹く。
夏にはちょうどいいのかもしれないが。
散らかる可能性をわかっていて
散らかしきったあとに
丁寧に片付ける作業を始める。
実はもう通用しない状態に
なっていることも、あり得ると
予測できているかどうかで
まったくビジョンは変わってくる。
コロナ禍によっても、まだ大丈夫と
既存にしがみつくと思ってるのか。
みんなが本当にしがみつくとでも?
しがみつくためには何が必要?
経済的体力?地位?学歴?コネ?
いろいろなことを勘案して
以前と環境が変わらないなら
誰でも既存にしがみつくだろう。
しかしみんなが、もう
そうでないとしたら?
何が考えられる?
従わせようとする側の人は
立場が、かなり恵まれている。
自分と同じ基準で無意識に
判断してしまいがちだ。
そう考えていなくても結果的に
そうなってしまっているから。
自分が大丈夫だから切迫感に乏しい。
あるいは自分をキープしたうえで
他者を助けるために動くから遅れる。
既存パターンを踏襲しがちになり
決断すべき時を見誤る。
今回のコロナ禍も普段と同じ戦術だ。
国民の気持ちなど聴くフリばかりで
自分たちの手順を絶対重視の姿勢。
これで一歩も二歩も後れを取る。
そして後手後手になって苦しくなる。
だって、これでしかできないんだからさ。
そう開き直っているようにもみえる(笑)
新しい位置取りに自分を置いて
あえてリスクありきで踏み出す、
べきなんだとも承知していながら。
立場が安泰な人はやっぱり
この一歩がなかなか重いのだ。
決断できなくなって周囲に
取り込まれて終わるんですよ。
優秀と言われていた人ほどね。
彼らも人の数ほど機能していない。
意外とこの一歩においては
論理や証拠が整う前に動く
勘や感覚が重要なのに。
このリスクを取れる人が
ホントの政治家やリーダーです。
常識的にはダメでも
そのダメな時点から
あえて動かす。
そのほうが逆に打開できる。
流れを断ち切れる場合も
流れをつくれる場合もある。
みんなが気づく前に、狙うという感覚。
ワタクシはこの感覚を意識していて
自分の感覚を信頼してますけどね。
競馬などで鍛えられた感覚ですね(笑)
穴党のワタクシとしては
人気が無いときにその良さや可能性を
信じて狙って、ショウブニデル。
でもその感覚を私たち人間は
おそらく誰しも持っている。
胸騒ぎや、違和感、虫の知らせ。
昔の人は蓄積されたデータや情報が
無かったこともあって、その感覚が
私たちより鋭かったんだろうなと。
現代に生きる私たちはどうだろう。
その感覚を迷信や非科学的だとして
信じようとしなくなってしまった。
しかし、全部が全部ダメではない。
私たちもに瞬間的に流れや危険を
察知したりする感覚は刻み込まれている。
その感覚を信じるか信じないか。
感覚を信じていい瞬間もある。
説明できない論理的でない瞬間もある。
振り返った時にあの時もう少し
早く動いておけば結果は違った
そう総括できたことのほうが多い。
じゃあそこから逆算して対処してるか?
といったら全然やらないでしょ?(笑)
安心、安全と口癖のように言う。
しかし私たちは全幅の信頼を
置いているわけではない。
ここまでの感覚はいい、悪くない。
だがその状態に何らかの根拠や
お墨付きが欲しくなるのが人間。
勝手に踏み出すと自己責任にされる。
私たちはコロナ禍において
徐々に緊張感を持続できなくなり
弛緩する流れにも気づいている。
それでもやっぱり上の指示待ちで
私たちもタイミングを失い後手に回る。
気づいているのに全体をうまく
動かすことができないんです。
この感覚、わかってもらえる?(笑)
やっぱり感覚的なイメージを言葉に
変換して伝えるのって難しいな(笑)
でも、リーダーが予測で
早めの一歩を踏み出したとき。
受け手である私たちがその意図を
共通理解として持っていたら。
早めを意識して動かせば
改善していた、回避していた。
だから早い段階で全体も動く意識で
ゴーサインきたらやるぞ、動くぞと。
リーダーと私たちの意識と姿勢が
うまくかみ合う状態に持っていくことが
重要になってくる。
ホントに非常時で切迫した瞬間に
その場の全員が集中して協力し合い
率先して動くような。
あの感覚に近い状態を
意識してつくれるか。
リーダーだけでなく、受け手の
私たちも協力するということも
大事になってくる。
長くてわかりづらいと思いますが
2回読むくらいでなんとなく
ニュアンスは伝わると思います。
1回で伝わる文章には
大事なことは案外
書かれていないのです(笑)