何気なく車のラジオから
聴こえてきた言葉。
ホントだったら○○なのに。
コロナでさまざまな計画が
ダメになった状況を
あらわす感情。
よく見聞きしますね。
この気持ちはコロナが無ければ
という、既にあり得なくなった
仮定の話なんですよね。
それでも私たちはよく使いますし
耳にすることが多いのではないか。
ホント、という言葉には
本当という意味は無くて。
もし変わらぬ日常が続いていたなら、
という感情が乗っかっている。
ダメとは言わないが
私たちの多くはこの切り替えが
まだ不十分なまま生きている。
拭いきれていない心理が見える。
うがった見方をすれば
私たちはコロナを現実のものとして
なかなか受け入れられていない
心理状態のあらわれなのかもしれない。
これからもコロナは現実のものとして
無かったことにはならない。
ただ、大衆の心理にコロナ前に
戻れるなら戻りたい、という呪縛が
強くなったままでは前に進まなくなる。
みんなそれもわかっていながら
ホントなら、という気持ちで
慰めあっている感じにも思う。
これから五輪やワクチン接種と
進んでいくんだけど、どこかで
コロナがまるで無かったことに
しようとする心理が強くなっていく。
そうすることで日常への意欲や
ストレス解消などをしてしまう、
そういう流れにもなっていきます。
しかし忘れてはならない。
コロナがあった前と後では
リカバリーできない何かを
失って取り戻せなくなったことを。
私たちはついつい日常の楽しさや
快適さを無意識にまた戻そうとする。
しかし戻せない人が今回は
たくさん居るんだということ。
ここを強く意識して人生を
立て直したり、やり直すことを
互いに携えていく社会にしなければ。
これまでの社会の延長線上で
全体が処理しようとするチカラに
負けてしまうことになるでしょう。
それだけこの戻そうとするチカラ
その心理や思い込みは強く作用する。
解決法のひとつとしては
新しいやり方を意識的に
進めてみること、その流れを
止めずにみんなで協力し合いながら
自らも参加していくことだと思う。
なかなか受け入れづらくて
コロナ前の日常のほうが
やりやすく感じるかもしれない。
しかし、たとえ自分たちに負荷が
大きくかかることになるとしても
みんなで動かしていかないと
これまでのようにまた失敗を
見ないふりしたまま淘汰される。
何かを始め、違うことをする意識を
あえて持たなければ。
日本のコロナ後は
立て直しできないのではないか。