ちゃんとやろうとする。
でも、見ないフリして
ごまかそうとする。
この2つがごちゃ混ぜになり
自分たちでもよくわからなく
なってしまっている日本人。
やはり、どうしても先導役が
信頼あるハッキリしたものでないと
うまく進まない欠点がある。
日本人の傾向として
軽く集まって、軽くやる。
妙な軽さがあると感じている。
協力し合うんだけど
芯が入っていないみたいな。
一時的すぎて継続性がない。
心も同じように
入っていない軽さ
みたいなものを感じていて。
何事にも、あまり本気で
取りかかろうとしていない。
ちょっと腰掛け感が強くて
互いに信用しあっていないから
継続性が薄い印象がある。
新しいことや民間レベルの話だと
その印象が強くなる傾向もある。
本気で続けるつもりなの?みたいな。
なるようにしかならない諦めの強さ。
逆に国や行政など公的な機関が
やるものについては信用度が
盲目的な感じで、妙に高い。
この預け癖、諦め癖を巧みに
政治家に利用されてる気はする。
引き際がわからずに続けたり
変え方がわかってても続けたり
あまり考えてもダメだから
流れに任せてやり過ごすとか。
考えて重みのある行動を
責任が生じるから、あえて取らない。
決断から逃げながら
誰かに決めてもらうのを
待ってる感じ。
わかってるくせに、ホントは。
たぶん誰しも、おぼえがある感覚。
公的な信頼にぶら下がろうと
してしまうんですよ。
こうしたほうがいいのになぁ。
でも、言わない。
でも、やらない。
ブナンシンドローム。
手を挙げて発言しないまま
育ってきた弊害だろうか。
個人的によく使う表現ですけど。
ルールを守ることもそう。
必要なルールなら守るべきだし、
みんなそうだとわかる。
問題はルール自体、このまま
従っていても良くはならないと
わかっているのに、従う。
この流れを断ち切ろうとしない。
これってやっぱり、国民性でしょ?
教育やしつけって恐ろしいねぇ(笑)
おかしな話でも平気で続けている。
みんながやめないからみたいに。
無難をSTAYしたがるんです。
その「みんな」というのは
私にとっては、あなたであり
あなたにとっては、私である。
全員が自分以外の人の行動を
お互いに基準にしている。
お互いに縛りつけ合うような
制御が全体に作用してしまう。
この不自由感から解放されれば
日本人はもっとやれるはず。
結果的に、日本人全体は
時間をかけて「サービス体制」が
整えば、ぞろぞろと集まる。
決めてしまったことには
極めて従順で操作しやすい
って印象が生まれる。
これが「五輪書」である。
宮本武蔵の五輪の書ならぬ
オリンピックを開催するための
日本人の奥義ならぬ扇で。
あぁ、ここまでいくともう
逆にクドイ(笑)
こう仰げば、こっちになびく。
その戦い方など変えずとも
時代が変わってもやれてしまう。
どうです?情けないでしょ?(笑)
ナメられすぎているでしょ。
無難の書を捨てい!(千鳥ノブ)
500円しかつかわないのは
あの人が500円しか
つかわないと知ったから。
でも同じように、
私が500円しかつかわないから、
あの人は500円しかつかわない
のかもしれない。
(松っちゃんの理屈だな、笑)
この問答の教訓は0か100の
極端になる可能性がはらむこと。
リスクがある、だから無難を選ぶ。
その無難は他者を鑑にして決める。
でも0にしてるものは
少し勇気の一歩を踏めば
100にもなる。
動かせば動く、その領域が
隠されているのだが。
問題は不測の事態が起こったとき。
0から100にすぐに動けないから
他の国より時間がかかる。
本来なら中間の50のニュートラルな
状況を想定してたっていいくらいで。
視点として両極端を見れる位置に
ポジショニングしておくんです。
ちょっと伝わりづらい表現ですが。
コロナ禍でのこの1年半の対応を
想像したらわかりますよね。
国民も0や100にドップリと安心して
肩まで浸かって、くつろいでしまう。
だから0から急に100だと言われても
急には動けないし、動かそうとしても
信用していないから出足が極端に鈍る。
ニュートラルな50の視点があれば
緊急時に50から0や100の
距離と時間が短縮される。
私たちの国はいつも対応が遅い
と批判を浴びせてしまう。
でも、その理由のひとつには
国民の側の依存度の高さもある。
時間をかけて公的機関が整えたら
0から100へようやく動く。
致命的スロースターターだが
流れに乗ると全体も安定して動き出す。
これ、ワクチン接種の日本の流れ
そのまま当てはまるでしょ?
他の国の0から100は初速が速い。
その一流国に先んじて勝つためには
50に居ないとダメでしょ?
五輪を理由にワクチン確保する、
その戦略的意図もなかった政府。
最初の一歩の初速がエラオソです。
ワクチン争いで負けた時点で
この夏こうなる運命は
ある程度、予測できてたはず。
ワタクシも前に中止になるだろうと
書いたけれど、想定外。やるよって(笑)
それでも止めようとしない玉砕覚悟。
あとから並ぼうとする意識が高く
相手が大丈夫なら自分もやろう
という姿勢がすべてを物語る。
その作用を利用して
全体を動かすんですから。
そして、かねてから
思う感覚がある。
船頭多くても、
案外やれるのでは?
というチャレンジ。
船頭が多いと、まとまらない。
ことわざなんかにあるくらいだから
人間の変わらぬ知恵で教訓なんだろう。
しかし、人間の数だけ各自が
能力をフル活用できているか?
これは否、ですよね。
人口が多くなりすぎた現代では
通用しない理論でもある。
非効率すぎるストレス高めの
犠牲多めを、いとわないものです。
そして日本の場合、船頭がいても
国民が船頭を妄信して動かないから
どうしてもスイッチが入りづらい。
この機動力と起動力を備えるために
ニュートラルな50の視点が
国民全体に必要になってくるんですよ。
ニュートラル視点+安定的従属性。
このハイブリッドから生まれる
最大公約数的な成果は高いはず。
ここに、長年抱える国民性の欠点
潜在的マンパワーのムダ遣いを
打開するヒントがあるのではないか。
できないとあきらめていたことが
できるようになるかもしれない。
でも、あの人ができるんだから。
私にだって、できるはずでしょ?
そういう根拠のない自信を
あえて持つことが大事な局面
必ず来ますよ、これから。