ひょんなことからテレビで

山田孝之をみて、水川あさみを

見て、共演ドラマシーン。



そうか漂流教室か~と思った。

そしたら主題歌が聞きたくなって

燃えるようなステップに身を任せ

漂流してるうちにみつけた。



ロングラブレター~漂流教室。

窪塚、常盤ね。他にもいろいろ。

観てたよ~、当時のフジはまだ

勢いがあった、あの当時はまだ。



アップした人がいまの時代に

警鐘を鳴らす意味の意図的な。

忘れているもんですよ、人間って。



あの頃、あのドラマを観て

ヤバイよヤバイよ人間って。

一度はみんな思ったはずなんです。



でも、コロナなるまで忘れてた。

いや、なってからも忘れてるかな。



快適、欲、人間って怖いねぇ。

都合の悪いことは目を瞑る。



やっぱり考えようとしなくなって

そこからすべての瓦解が

始まってるんじゃないか。



明らかに考える問題が

私たちに多くなりすぎて

誰も損をしたくなくて。



誰も損しないほうに向かうけど

結果的にみんなが損するような

流れに逆らえなくなっている。



全部を救うことはできない矛盾。

どっちを選んでも難しい決断を迫られる。



考えたくもなくなっていって

自分の狭い意味の快適さを守り

広い意味の快適さは見ないフリで。



逆の効果が出ちゃうんだなぁ。

狭い快適を重視すれば、

広い快適さを奪われ悪くなる。

現代はまさにそうでしょうね。



狭い快適、個人の快適を優先。

広い快適、全体の快適を軽視。



広いってどういうこと?っていえば

それは自然環境なのかな、やっぱり。



狭いを良くすれば、広いが悪くなる。

逆をすればどうなるか。



狭いを悪くすれば、広いが良くなる。

なんですよ、きっと。

そんな単純じゃないんだろうけどね。



単純に考えれば個人の欲を

ある程度制限すると

全体が存続していく利益が見えてくる。

逆の発想をすればそうなりますよね。



でもやっぱり切羽詰まらないと

人間ってやらないじゃないですか(笑)



怠惰かもしれないが見えるもの、

手の届くものがすべて優先される。



ウイルスだってそうです。

たぶん感染拡大して何百万、何千万と

死者が国内で出ないと本気にならない。



防ぐためにやってることが

これまでもなんとかやってきて

大丈夫だったじゃないかと

思わせてしまっていたりもする。



これはやっぱり本気で考える前に

最悪の現実が回避されてしまったから。



すると私たちは心のどこかで

「大丈夫」が加速していく。



「大丈夫」を加速させると

みんななぜか「大丈夫」を信じ込もうと

見ないフリするように不安を隠す。



たとえ、その陰で「大丈夫じゃない」が

ひたひたと忍び寄っていたとしても。



こんなこと書きながらも

自分がいまも何もできていない。



でも同じように気持ちはあっても

何もできていない人は日本のなかでも

考えている以上に多いと思う。



だからしょうがない

というのではなくて。



人間の欲と闘うのは人間だ。

ロングラブレター、再放送は

おそらくできないでしょうけど。



古くは楳図かずお作品でしょ。

もっと上の世代も刺激するはず。

オリジナルは読んだことないけど。



漂流教室2021なんて

すぐにはできないでしょうけど

来年2022年はドラマから

ちょうど20年経つ。



ドラマ化して警鐘をもう一度

鳴らすことはできるのではないか。



あのときと違うかもしれない。

思ってたより現実はまだマシ?

ホントにそうだろうか。



私たちの「大丈夫」は

加速していないか?

その加速を止めるのは

いったい、誰だろうか。