どうやら松本がコントをやるらしい。

いまの松本らしい肩のチカラが抜けた

コントならそれでいいと思うのだが。



受け手の観る側のほうが

高度に笑わせてくれと願うと

案外、つまらなく感じるんだろうな。



なんだろう、こう

能力が変わらない

ゲームのキャラクターのように

思い込んでいる人がそうなる。



この思い込みって絶対ある。

松本も私たちも、年取ったし。



劣化とかそういう言葉を使うのは

その最たるものでしょうね。

偶像化そのものですよ、怖いっす(笑)



自分の衰えを見ないフリして

他人の衰えをハチの巣にする。

その溜飲の下げ方、だけで。

攻撃に大した理由はないでしょ。



ネットの声ってその意見を

面白がって拾ってきて

終わりのない憂さ晴らしでね。



いろいろとあるけど

深く考えずに笑えると思ったら

笑っていいんだよなぁ。



ホントに笑うのガマンしたり

相手を気にしたりしないで。

原点を忘れがちというかね。



でも自分の可能性や才能を

どんなカタチであれ

引き出せたこと自体が

すごい才能で成功ですよね。



普通の人間は才能を出したくても

出せる場がなかったり、

あきらめてしまったり、

うまく自分で扱えてなかったり。



才能の活かし方っていうのは

ワタクシは現代人が

新しく「機能」するために

人生を切り拓くヒントだと

感じていますけどね。



才能って抑えても抑えても

出てくるのだけが残るみたいに

厳しめの設定ばかりしてきた。



でも、そうでない才能の伸ばし方も

実はあると思いますよ。

みんなやろうとしないだけで。



マートゥモロ含めダウンタウンは

時代も合っていたんでしょう。

時代が動いている瞬間に立ち会えて

動きを見ながらチャンスを狙って。



仕掛けていこうとする人たちと

自分の才能を発揮できる環境を

つくって、のし上がってきた。



才能のある人はよく言うらしい。

やっと見つけてくれたかと。



でも見つけてもらうだけでなく

もう一歩攻めて、勝ち取りにいく

その仕掛けで勝てるかどうかだと思う。



運みたいなものはなんとなく

そういう仕掛けの過程で

シレっと偶然を装って転がっている。



そしてその運と仕掛けの継続で

つかみとった人が成功するイメージ。



いわゆるアンチと呼ばれる人も

ホンネは羨ましいのだろうと思う。



自分も何かやりたかったことを

どこかであきらめて生きなければ

ならなかったゆえの、嫉妬的な。



才能のある人はそこまでのプランを

練り上げてその瞬間を

待っているのかもしれない。



松本は、ほぼ自分の才能の

ひとつの輝かせ方で

行きつくところまで

行ったのだろう。



このまま突き詰めても

楽しくないんだろうなぁと

感じたのかなと思ってます。



「ごっつ」などのカリスマ全盛期

でもその後期は視聴者がすぐには

笑えないようなゾーンに

入っていった感があった。



ダウンタウンがやってるんだから

面白いんだと認識して笑うみたいな。

後半、なんか難しくなりましたもん(笑)



アレはやったし、コレもやった。

じゃあ違うベクトルの笑いにと。



視聴者は同じパターンのコントを

もっと観たかったんでしょうけどね。

本人は独自の世界観に向かっていく。

そこで離れた人も多かったでしょう。



その後は映画などもあったが

テレビ等では基本的に後輩や他人を

引き出す側にまわっている。

別の楽しさを見つけたのかなと。



今回のキングオブコントの会で

ダウンタウンを観て刺激を受けて

育った後輩たちとコントをする。



先行してメディアにリリースされた

コメントをみるとホンネが見える。



育ってきた後輩たちへ

「弟子」を微笑ましく思う視点と

自分にスイッチが入るような、

本人のコメントにもある

複雑な感情が芽生えたんでしょうね。



いじられるようにちゃんと

てっぺんから降りてみせたのは

スゴイなぁと思って。

ダーハマも。2人ともそうだ。



後輩からしたら憧れの存在が

引き出してくれたチャンスを

つかんできたし感謝しかないだろう。



たぶんいじってるけど後輩は

尊敬の念は変わらないのだ。

超える超えないの相手じゃないし。



ダーハマも見たかった。

でもあまり欲張ってはいけない。

お楽しみは次にあってもいい。



ダーハマをいじる、本気で

キレるかキレないかの仕掛け合い。

そのギリギリの危うい楽しさ。

これもすごい面白いですから(笑)



仕掛けて、仕掛けられての瞬間

どこまで踏み込めるか、許せるか。

そのギャップが笑いを生む。



受け入れるだけの器量、懐の広さに

人の尊敬も集まるんだと思いますね。



これはでも、一般人でも同じです。

もっと来いよ、ぶつかってこいよと。



ダーハマもそうだが若い時から

もっと向かってこいや、みたいな

戦いを望んでいたように見えた。



なんか、上のできる人間ってのは

実は向かってくるのを望んでいる。

できない人間は怒るだけですけど(笑)



そう思うフシがワタクシにはあって。

むしろそうでなくてはならない

くらいに感じています。偉そうに(笑)



たしかに自分に歯向かうやつらは

ムカつくんだろうけど、

歯向かうじゃなくて勝負挑んできてる

あの感じがワクワクするんだと思う。



歯向かうと戦うの違いがわかるか?

わかってるならこいよ、みたいな(笑)



かつての自分に重ね合わせて

自分もこうだったとか

思い出すんだろうな。



そして次の世代が育ってほしいと

心の底から思うのかもしれない。



育ってほしいけど

教わるんじゃなくて。



参考にして違う角度から

噛みついて、押してこいと、

越えてこいと思っている。



ダウンタウンとほぼ同世代とか

すぐ下の世代くらいはコワイが

先にくるから大変だっただろう。



でもそれはそれで、彼らは

間近で見てきたからこそ

別の路線を画策しながら

生き抜いてきたんでしょうね。



視聴者である私たちはコワイ瞬間も

優しめな瞬間も時系列で観てきた。

ちゃんと、振り返れば奴らはいる(笑)



だから変わっていく瞬間も観れたし、

時折、牙をむく瞬間もなんだか

懐かしくて、ワクワク感が高まる。



同時代を視聴者として過ごしてきた

ワタクシのような中年世代は

また違った楽しみ方ができる。



動画サイトで観れたりしますけど

当時のライブ感を理解しながら

観るのとはちょっと違います。



アレが流行っていたときとか

当時の世相とか、スタンスとか。

いろいろといまとは違うから。



メディアで公開されている

集合写真、いい顔してますよね。



後輩芸人もそうですけど

何より松本が一番嬉しそうに

照れくさそうにしてる。



たぶん、あの中で一番嬉しいはず。

しあわせそうで、いい顔してる。

ホントに遺影にしてもいいかも(笑)