高齢者のワクチン接種が

うまく進んでいないという。

予想されたことではあるが。



そもそも住む地域によっては

なぜ、接種しにきてもらうことを

前提としているの?って思う。



アナログな世代に罪はない。

アナログな世代を無理に

デジタルに寄せてこようとするから

理解を得られずに難しくなる。



ちゃんと正確にキッチリ

やろうとするけれど

結果、難しくしてしまう。

皮肉なもんですよ。

 

 

行政側のペースに、人が合わせる

 

そんな体制をつくるから

失敗するんだと思いますよ。



感染予防対策した人間たちが

必要な書類一式を携えて

訪問するスタイルだっていい。



地域の病院と協力して病院の駐車場に

接種会場をつくってもいい。



そこを縦割りや規則でがんじがらめで

身動きとれないことを恥と思えよと。



お年寄りが無理なくアクセスしやすい

そういう環境に行政の側から

合わせていくほうが

スムーズに進むのではないか。



行政の仕事ってなんというか

基準に合うことを相手から

言われたらしますよ、という

待ちスタイルが基本にあると感じる。



その決め事を守って準備して

来たら対応しますよっていうね。

 

 

 

最近は少なくなったけど

 

昔は横柄な態度も多かったらしい。

 

何様?っていうくらいに。




行政サービスの基本スタイル

その延長上でワクチン接種も

 

処理しようとするとダメなんじゃない?



その感覚は中(行政)にいると

わからないかもしれないけど

外から見たら、ハッキリそう思う。



準備ばっかり一生懸命こなして

あとは来るのを待つ、みたいな。

仕事した満足感はそこじゃないでしょ。



なんで、来てもらおうと最初から

決めつけているのかも、よくわからない。



作業を完璧にしようとする気持ちが

日本人は強すぎるんだと思う。

その緻密さが悪い方に出てるかな。



自由に遊んでこなかったから?

自由に考えて決めていいよって

体験をしてこなかったから?



コミュニケーションの準備をして

相手からの話しかけ待ち、みたいな。

 

 

それで待ってる、準備万端、完璧!

って勘違いしてるんじゃないか?



なんで全部バッチリ対策をつくして

待つことばかりしてしまうのだろうか。

行政の悪しき体質だと感じますね。



特に高齢者は、自分の身の回りの

作業そのものにかかる時間が増して

簡単でなくなっていく、徐々に。



新しいことや知らないことが負荷になり

肉体的、精神的な負担にもなる。



新しい機械は、改めて覚えるのが面倒。

ワタクシもやったら簡単だよって

自分の両親には勧めてしまうが。

それは違うなと気づいた。



よく考えたらお年寄りにもリズムがある。

僕らが疲れないところで、もう疲れてる。



無理なくリズムよく生活をコントロールして

極力、新しいことに手をつけずに

自分にできることに向き合っていく。



行動の幅を自分のできる範囲に

ゆっくり収縮させていくように感じる。



だから基本的に行政のスタイルは

お年寄りの負担を増やすだけで。



自分たちのスタイルをかえりみず

相手にお願いするだけでいいの?

 

 

特にコロナ禍という緊急事態で。

 

平時と同じ要件を求め、同じ基準で

 

対応するのは機械といっしょ。



現役世代はまだいい。

負荷をかけられてもこちら側が

行政に仕方なく合わせていけるから。



全部を完璧にやろうとしないで。

全部を行政のプランに合わせて

動かそうとしないで。



行政は相手の視点、気持ちを

いつも見落としている。

 

ちゃんとやろうとする気持ちが

逆に肝心なことを見落とす

原因になっているのでは?