人間の持つ「慣れの感覚」

どうやって引き締めて

協力させる方向へ

持っていけるのか。



日本の喫緊の課題です。

どうやったら協力し合う

関係をつくれるのかがカギ。



本人は慣れちゃってるなぁ

って自覚もあったりする。

それを「仕方ない」に変換。



周囲がやっていないのに

自分だけやるなんて

と、ためらう。



だって浮いてしまうでしょ?

だって恥ずかしいでしょ?



そうなるのはわかってるはず。

じゃあ、どうやって誤魔化す?

言葉は悪いけど。



こういう私たちの心理を

知っているはずなのに

国は強制はできないからと

お願いベースにしちゃう。



ここでしょうね。

先進国に近い位置にいながら

ヘタをこいてしまう三流国に

なっちゃう所以は。



特に広さや人口は違うが

同じ島国のイギリスは

決断が早いし、実行力もある。



自分で決断して、自分で実行する。

これが身についているんでしょう。



人としての育て方や社会の成熟度の差で

日本とは決定的な違いが出ている。



そして他人が決断したことに

ちゃんとぶつかり合う感じもする。

そして協力し合う結果につながる。



忖度ってよく言いますけど

ホントに必要なのは

「損託」なんじゃないか。



お互いの損になることを

託し合う関係をつくること。



リスクや損を預け合って

受け入れて協力し合う関係。



相手に損をさせてしまうけれど

受け入れて相手に遠慮しないでと

託すことなのかもしれない。



日本人は特に相手を敬う感情が

他の国と比較してもかなり強い。



それが悪い方へ循環していくと

相手に対してダメと

言えない空気をつくる。

そんな心理的な特性がある。



相手が損しないように

損させないように

気遣うこと。



この意識が常識に昇華され

美徳でもあると高められた。

悪循環になり邪魔をして踏み切れない。



もちろん法律的な要因もある。

でも何か緊急時に法律をまず気にすると

動けなくなってしまう。

そこも根っこにあるのは決断、実行の差。



厳しい対処が必要だと判断したら

法律は法律、人間は人間であって

必要ならば自分たちで判断して決定する。



厳しさを提示して相手も協力姿勢をもって

受け入れる、渋々も含めて。

互いに前に進むために損を託し合う。



お願いする側も損ですよ。

法律になかったり根拠を超えて

判断して実行するんですから

その「後処理」もしなきゃならない。



そうしないと前に進めないときって

やっぱりあると思うんです。

それが、いまなんではないかと。



私たちはお互いが損をしても

互いに問題解決のために

損を託し合うという関係に

踏み切るべきではないか。



難しいと考えるのは

何らかの壁が邪魔になって

できないと思い込むから。



前に進めない壁が

邪魔になっているなら

壁を迂回せずに壊せばいい。



最短距離で解決に向かう

必要があるならばその実行力。

壁はまた同じ場所にあとで

作り直せばいいんです。



迂回するから時間がかかってる。

協力し合うという意味では

一致すれば日本という国は

ケタ違いの組織力をもつ。



その組織力をうまく使えていない。

心理的な枷(かせ)があるだけで。

やれないことはないはず。



うまく協力し合う関係を

損を託し合う関係をつくり、

壁をいったん壊す実行力を持つ。



これしかないですね。

キーワードは「損託」これ一択。