翻弄してます、世界を。
最強ですね、見えないのは。
人間なんてホントに
ちっぽけな存在なんでしょう。
人間は目に見えないかぎり
本気になるのは難しい。
好きなことだけやってたい
好きなものにだけ囲まれていたい
だから、そっちを進めたい。
ずっとそうやってきた。
なかなかやめられない。
これやっとけばとりあえず
大丈夫(って思っておきたい)
って人間が多くいる。
はやく戻りたいより、戻したい。
可愛いくらいに映る。
へし折るにはたやすい。
ウイルスにしてみたら。
実際に自分の身に起こる
その目に見え壁に触れないと
自分の鼻を壁にぶつけないと
気づかないもの。
思い知らされながらも
ルールという壁には
鼻をぶつけても従う(笑)
皮肉というか。
ルールってのは。
ルールを破れない社会に
なったぶんだけ逆に
ルールにしばられて
動けない現実。
ルールの犠牲者が
感染者を上回る。
平常時と緊急時の区別、実行力。
いろんな人の意見が多すぎて
回らない、うまく活かせない。
良くなれとは思う、思うけれど
良くなるために犠牲になりたくない。
どこまでも不便や不具合に対して
ストレスに感じてしまうように
なってしまったんだなぁ。
利便性ってのは毒ですね。
平常時には気づけないから。
快適、利便性。
追求したツケがね。
緊急事のいま、
私たちにのし掛かる。
ワクチンありきの計算が
できないならば腹をくくって
できることはなんだろう?
強制力で目を覚ますしかないのだが
選挙がある今年は政治家は大衆に
嫌われたくない演出が不可避。
そのわがままな言い分が
まかり通る世の中です。
このままではすべてが後手を踏む。
ルールにしばられすぎる日本。
他の国は、やっぱりなと思って
頼りにはならない国だという
認識をより深めていくでしょう。
根幹にある、逃げの姿勢。
逃げは徹底して無意識に
あらわれるものだ。
他人にいかに根拠を示されても
自分で認めないかぎりは
逃げ自体を認めようともしない。
そういう人を1人動かすのと
10人、100人動かすのでは
まったく労力が違ってくる。
全体を動かすには
規模が大きくなりすぎた。
まだ1億人もいる。
みんなでつかまってぶら下がる。
余程明快で腹をくくる決断力を
伴わなければ実行できない。
自浄作用は効かない。
変化に対する免疫力も
著しく低下したままだ。
やっぱり待ちの姿勢で
何もかもサービスを
受け続けてきたツケか。
誰も協力はしようとしない。
自らの意思で展開して
その自主的な意思が
複数あって刺激し合いながら
相乗効果を生ませられたら。
そこにひとつの光明が見える。
しかしその光明も誰かのお膳立てを
待たなければ動けないのだ。
主体性を軸に動いても
社会のシステムの前には
吸収されてしまう。
数多の人が志したであろう
変化の兆しや意欲も
この波に吸収されてきたんでしょう。
欲の波は人を食しながら
大きくなり続けていき
手に負えなくなってしまった。
さぁ人間よ、どうするよ?
ウイルスは、あざ笑う。
その姿さえ、残念ながら
私たちには見えないのだ。