人間は途中までやっていたものを
途中で自ら、止められないものだ。
惰性をこよなく愛してしまう。
スケジュールがもう組まれている、
もう決まっている、だからやるんだと。
正当化して、聖域化してしまう。
オリンピックに限らず
いろんな問題に共通している意識で
通常通りを止められない私たち
という感じがしますね。
もう止められない、という流れって
戦時中にも同じシチュエーションが
あったのではないかと思うんです。
止められずに失敗した過去を
知らないわけではあるまいし。
しかし止められないと判断する
ホンネは怖いからでしょうね。
不利を被りたくない気持ち。
動いていなきゃ落ち着かない。
それだけ不安が高まった証拠。
でも、世界中みんなどの国も
怖いけど自ら奮い立たせて
立ち向かっている。
いま10でやらなきゃならないことを
7で様子見したり、怖がって5にしたり。
日本の国がやってるのは
このビビリのヤリクチ。
外国は10やると言ったら10やる。
変更を腹をくくって受け入れて進む。
ところが、この極東の島国は違う。
いつも慎重に見極めながらというが
結果、見極めた時点はすでに遅い。
いつも遅く、後手後手にまわっている。
たぶん発想自体が違うんですよ。
きっと。日本人独特の主観なのか。
このビビリの根っこが腐ってしまい
あらゆる人間の根っこに影響を及ぼす。
こっちのまん延のほうが深刻。
早く解決しようと思ったら
世界中のどこの国であっても
強く出ますよ、ホントに強く。
整えている環境、貧富の差など
いろいろと違う部分はあるけど
借金がかさむも何も
他の国もみんなそう。
そういう問題ではなくて。
人間としての、考え方の問題。
どうやらそこが一番のカギ。
やっぱり、外国は解決しようとする
本気の意欲があって覚悟がある。
日本人よりも反発心が強い国民性を
どう扱うかを考えた場合
強制力がないと進まなくなると
理解しているからでしょう。
その国の国民も反発もするけど
やっぱりみんなで協力する動きには
躊躇がないんですよね。
切り替えも早いんだと思うんです。
やると言ったら、やる。
いまやらないと、協力しないと
あとがよりつらくなってしまうから。
騒ぎが大きくなろうがやるべきことは
やるんだ、ちゅうちょしないよと。
でも日本って国は
なんなんでしょうね。
騒ぎを大きくしたくなくて
波風立てないでやり過ごそうと
そういう意識がはたらく。
外国のほうが厳しいけれども
みんなで助け合うという瞬間の
スイッチがグッと入る。
スピーディーでみんなが連動する。
やっぱり社会参加意識というか
自分たちが社会を形成する一員だ
という自意識が強いんだと思います。
外国、行ったことないですけどね(笑)
あくまでも想像で書いてます(笑)
ワタクシなりのこうすることも可能だよ
という意味でのアイデアで。
日本人はというと自分のリズムや
生活の変化を極力、避け続けて
被害を最小限にしたい気持ちが強い。
巻き込まれたくないから逃げ続ける。
向かい合おうとしない感じがする。
もしかしたら、学校の授業で
手を挙げて質問しなかった時代に
育ってきた影響かな?(笑)
こういうときに日本に足りないのは
厳しさと背筋を伸ばす緊張感。
やさしくしすぎると逆に
まとまりがなくバラバラ。
なんとなくダラダラ。
結局、なんにも前に進めない。
いままでなんだったんだ?って。
ずっとこの繰り返しをしてる実感
私たちにもありますよね。
ダメなリーダーを辞めさせたい
でも辞めさせられないシステム。
ダメがダメになるだけ。
首をすげ替える。
決められたルールに忠実。
ルールをすっ飛ばす理由。
コロナでいいでしょ?(笑)
見えない相手には
見えない根拠を
くっつけたらいい。
マジメに向き合おうとすると
見えない根拠を見えるまで
マジメなやつは待ってる。
だから何もできない、進まない。
そこまではできないと
ちゅうちょしている間に
ウイルスは、ほくそ笑む。
諸行無常のなんちゃら、と言いますが
ちゃんとした意味は覚えていない。
でも無常、変わり続けるということか。
同じではいられないみたいな教訓か。
昔の人は変わり続けるのが世の常と
気づいたんでしょうね。
でもいまの日本人は面白いほど真逆。
変わり続けることを拒んでいる。
そのスタンスを変えられないまま
社会情勢をのらりくらりと
直接触れないように逃げ続けてきた。
犠牲を出しながら、ちょっとずつ
悪くなった箇所をあいまいな素振りで
切り落として、そぎ落として。
書いているうちに緊急事態宣言の報。
駆け込みで人出が増えるでしょうね。
緊急事態宣言の前後2日くらいは
準ずる措置が適用されるように
しておくくらいが効果があるかもしれない。
いきなりスタートより、
ウオーミングアップ。
大事でしょ、ケガしちゃいますよ。
高齢者ばっかりなんですから。