私たちの感覚として
コロナ禍において個々が
どう行動すべきかを
もっとシンプルに説明してくれと
思っている人が多いのではないか。
協力しない人も、もちろんいる。
その背景には、生活や仕事など
ままならないままで
そこに手を打たず
放置し続けているトップの
器量の無さがある。
できることなら協力したいけど
黙っていても自分たちを
助けもしないから。
助ける頃には、もう何もかも失って
修正できずに終わってしまっている。
どんくさい国や行政、政治家に
なんにも期待できないから
だから協力する気にもなれない。
これが、ホンネに近いかもしれない。
ちゃんと指示して
明確にしてくれたらやる
というスタンスもわかる。
ただ、現実的には細かいところまで
行政側に決めておいてくれというのは
時間がかかりすぎて無理がある。
大事なのは想定しておくことに
プラスして想定外が起きても
臨機応変に対応できる決定権を
明確に地方に伝えることではないか。
そしてそのケツモチを国が
大きく手を広げてドンと構えるんです。
あとは補填してやるから
待っていないで先手を打って
やれることをやってくれと。
明言しないと地方もおそるおそるで
一歩が遅れて、どんどん遅れていく。
難しく専門用語満載で
説明したりするのが
行政や政治家の常とう手段。
何十年も同じパターンで
自分たちでは法に則って
丁寧に抜かりなくやってる
そのつもりなんだろうが・・・
まぁクソです、クソもいいとこです(笑)
人心を惹きつけるものが、まったくない。
みんなが、よし!協力しようよ
という雰囲気がつくれていないのは
やっぱりみんなハナっから
政治家らを信用していないから。
ここがすべて。
信用されていない国や行政や政治家が
偉そうにしてヘタこいてばっかり。
やるやる詐欺で、なんにも進まない。
という認識が私たちの気持ちのなかに
前提としてあるからではないか。
なぜこんなにも協力が得られないのか。
政治家たちは、自分たちがこんなに
一生懸命やってるのに
って思っているとしたら大間違いだ。
国民全体としてのイメージでは
地震や災害などの天災事変においては
極めて優秀で協力的になれるのに。
やっぱり切羽詰まった状況では
誰かの意見を待っている暇はない。
個々の自治体の判断で
スピード感をもってやり
協力するスイッチが
そばにいる地域の住民同士で
入るから機能するんです。
逆に全国的な規模になると
国や行政、政治家が
なんもできないくせに
しゃしゃり出てくるでしょ?
実は、逆に邪魔になってるとも知らずに。
地方は国待ち、国はあいまいにして
明確にしないという弊害がすべて。
規模が大きくなればなるほど
スピード感が失われてしまう。
責任のなすりつけ合いに終始して
何も決まらない、決めることもできない。
やっぱり最高でも県単位までにして
指揮命令系統をシンプルにするほうが
いまの日本人には向いている気がする。
学生のころもそうでしょう?
意外と生徒に任せるほうが
全員の力が有機的にはたらく。
先生が仕切ろうとしても
余程のカリスマでないかぎりは
上手くいかないもんでしょ?
だから、地域のコミュニティ主体で
判断するやり方のほうがこのコロナ禍の
場合、スピードという意味でマッチする。
哀しいかな、国が主体になるほうが
後手を踏んで、遅さが致命傷になる。
この矛盾に加えてさらに致命的な
リーダーシップの無さは
世界に恥ずべきことだと思いますよ。
ホントに情けない日本のシステム。
判断をすべて中央や中心に
持っていく古いシステム。
すべての元凶はここですから。
個々の判断に任せられたら日本は
もっと各自で判断してできるはず。
実はそのほうが国民の協力を得られる。
震災等で見られた光景でも明らか。
地域住民が主体的に、有機的に動くさま。
逆に国や行政が足を引っ張る体たらく。
弾力的に運用してケツモチは国がする、
だからみんな協力してやっていこう。
そのほうが整理して管理できるかも。
なんでも国や行政に任せてというか
預けさせるようにしてもダメ。
緊急時に人望のない奴らに
誰が従おうと思うでしょうか。
ヘタを打ってすべて後手後手。
決断をできずにあいまいな状態で
繰り返す愚策をずっと見せられて。
一生懸命やってるのに何で?
って思っているのかもしれないが
大衆の心をつかむ人間味を感じる
感情のある本気の発言もない。
各自は頑張ってやろうとしているのに
まったく指導力がないリーダーに
呆れ果てて見捨てられている状態。
いますぐにでも特措法で
暫定的でも一歩進めて
地方に明確にゴーサインを
出すべきですね。
たとえ蔓延が回避されても
この古いシステム依存では
到底立ち直れないまま
淘汰されていくだけですから。