考えようによっては

時短要請って間違った

メッセージにも思うんです。



病床使用率についても

パーセントじゃなくて人数で

あと何人ってほうがグッとくる。



なんか日本がやる策は全部

裏目、裏目に出ている気がしますね。



大阪も、カネ配ってロックダウン

やったほうがまだマシでしょう。

効果が絶大だと思いますよ。



人間って自分に得がないと

やっぱり難しいんですよ

何もかも。地域も関係ない。



オリンピック、応援してくれも何も

棚に上げて割り切れないでしょ?



本人たちが頑張るのは否定しないが

型どおりに応援させられる雰囲気は

やっぱりムカつくでしょう?(笑)



正論とか理想とか

負担増やさずにとか

キレイにやろうとしてもダメで。

ただの自己満足に近いですから。



いままさに、何が必要で

優先して決断すべきかということ。

シンプルな決断力が実行されない。



やっぱり誰かが決断して

動かさないと日本という国は

とにかく、動かないんです(笑)



10年後、20年後に愚策と

悪評だけが残る現実を

見過ごすことしかできないのだろうか。



全体にも言えることですけど

なんらかの基準があって

みんながこの基準を守る

という状況がある。



平時においてはこれは

なんにも間違っていない。



でも非常時にまでダラダラして

マトが定まっていない状態で

何も効果が出ていない。



ヤバイとは、ずっと思っている。

でもずっと同じ基準で

「作業こなし」をするだけ。



ダメだと言うし、わかってる。

でも誰かが決断して動かさないと

まったく動かないんです。



残念ながら私たちには現状、

社会を動かせるだけの力はない。

この恨みは選挙でどうぞ。



そこに事態が刻々と変わる

というコロナ自体の変化が重なり

次々と局面が変わっていく。



変わっているのに

対応が変わらない。

変えられないんです。



それが反映されるのはいつも

何かが起こってからになる。

そして、時すでに遅しの状況。

これを繰り返す。



ホントはコロナとの読み合いして

考察合戦を展開してもいいくらいで。



毎度生じる誤差を解消するために

予想しながら幾分早めに

先手を打って動くべきでしょ?



まして、見えない相手に

普段通りの決断の感覚は

通用しないと思ったほうがいい。



日本の政府の欠点は

非常時においてであっても

事態が刻一刻、動いていても



その事実が根拠ありきで

証明されないかぎりは

動かない、ということ。

スガはまさにコレ。



大衆も同じ理屈で指示待ちで

とどまっていることからも

日本全体の意識の問題だと

いうことがわかります。



その証明や了解をとっている

時間的余裕がない場合に

判断できる裁量も決断力もない。



決断を尊重するでもなく

逆に責任を追及する

そういうシステムを踏襲する。



足も手も、首もムダに長いまつ毛も

何から何まで引っ張り合う。



だから想定していても

実行できないという

後手の踏み方がデフォルトに

なってしまうんです。



できる人って何手か先を

イメージして先に動いているでしょ?

どの世界もそうですよ、きっと。



それは次の展開を

うまくやろうとすると

先のことを想像しなきゃならない。

当たり前の心理であり、行動です。



日本の頭脳のさらに中枢にいる人。

キミらは大衆が感じるよりも

先に感じて、動いていかなきゃ。



底辺のオッサンでもその感覚は

わかるよ、圧倒的に正しいと。



それは僕らが気づくよりも

一歩も二歩も先に気づいて

意識的にまだまだ早いくらいの

タイミングで動く決断と行動を

実際にしないと結果的に失敗する。



コロナ禍ってたぶんそうなんです。

そのへんのちょっと角度を変えた

にらみ方を、狙ってあえてするくらいに。



僕らがまだ大丈夫って思う局面でも

まだ早いよってくらいのタイミングで

決断していかないと、どんどん後手を踏む。



ちょうど2週間前の行動が顕在化する

コロナのその感覚や間隔と同じですよ。



コロナが先を、タイミングを示してる。

不思議なくらいにヒントをくれているのに。



2週間前や先くらいの感覚で動くのが

おそらく先手を打てるタイミングなんです。



そこに大衆が協力して合わせていくような

「局面の共有」みたいなことが

ポイントになってくる。



この「局面の共有」というのは

行政と私たち大衆レベルのあいだで

事態を共有する、ということです。



「局面の共有」によって

同じ絵や画が、イメージできる。



その共有ができることで

事態と大衆の誤差や

解釈のスピードの差は

いまよりも絶対に縮まると思う。



すごく抽象的で伝わりづらいけど(笑)

さっき、ちょうどテレビで

オープンシェア革命

ってやってたけどスタンスは似てる。



時短要請にしても

何時まで、というよりは

何人まで入店可能、にしたら?



すでにほとんどの人が

気づいているでしょうけど

検査しないだけで

感染している人は潜在的に

もっと多いと想像してる。



じゃなきゃ、マスクしないで

長時間飛沫の飛ばし合いを

したところで感染することは

ないんですよ、理屈ではね。



感染していると認めたくない

心理も若干強めになっている。



そもそもウイルスを不特定多数が

持っている状態だから

飛沫感染するんでしょう?



無症状であり、それに無自覚である。

姿の見えない相手に対して

名ばかり、形ばかりの

感染対策にもう慣れてしまった。



本来の目的とか意味がぼやけてしまい

逆に、正常時バイアスがかかる。



自分だけは大丈夫、から進んでいって

自分だけガマンしてもしょうがないや。

って状況に変化してしまった。



大衆も無自覚感染者であることを

認めたくない心理に引っ張られる。



発表する数字を見聞きしながらも

自分は感染していないテイでいる。



ワタクシ自身は感染しているテイで

日々生活していますよ。



この意識があると近い人間関係でも

やっぱり距離をとるようになります。

近い距離で長くいないように意識して。



時間でなく、視点を変えてみる。

分散させること、人数で制限すること。

たとえば最大で15人までと決めて

現在10/15の入客状況です、として。



入客の限界人数を店の前や入ってすぐ

入口付近にカウンターボードを置く。



出歩く人が集まる時間も分散されるし、

帰る時間も分散されていくんだと思う。



時間で区分してしまうと、

その時間までと考えていくので

案外、他人と時間がかぶりやすくなる。



すると帰る時間もかぶりやすい。

あらゆる状況がかぶるということは

それだけ密が生じる。

飛沫感染の可能性が高まるということ。

まぁ極端ですけど、イメージではね。



時間に余裕があれば、集まる時間や状況で

ある程度、柔軟に考える余裕もできる。

ダメなら他の店を探せばいい。



制限時間があると焦って時間内になんか

元を取ろうと必死になってしまいがち。





新規感染者数もそうですよ。

切り取るとそこだけの視野になる。



現在確認した感染している総人数を

まず先にアナウンスして意識づけさせる。

感染している人が現在どれだけいるか?

を想像するようになるはずです。



どうしても一日の新規感染者にばかり

スポットを当てがちでその手法にも

もう驚かなくなってしまっているから。



ただ、やはりカギになるのはワクチン。

しかし既に決まった供給スケジュールが

変わらないのであれば、

私たちにできることは何だろうか?



頭を使い、想像力を働かせて

互いに共有しながら補完し合う。



いつもどおりの生活に戻したがり

自分の基準やスタンスを

動かそうとしない人が多い現代人。



カネくれたらみんな本気になって

協力するのかな?

ワタクシは全力で協力しますけど(笑)



支離滅裂な長文嘔吐、失礼しました~。