韓国のなんかの選挙で

政権与党が大敗したとか。

国民がNOを突きつけた。



それぞれの国の投票率の事情で

いろいろあるでしょうけど。



これを投票という数と形だけみると

日本でも可能に感じるんですよね。



たとえば、立候補したのが

AからEまで既存の政党、公認など

Fが無所属新人、経歴なし。



こういうメンツが届け出している。

よく各地の選挙でみますよね。



通常の投票率の場合は

既存の政党同士がしのぎを削る。

この構図を描いてなんも疑わない。



でもね、たとえば無所属新人のFさんが

非正規労働者の代表で立ったとします。

無職であり、無色の新人ですよ。



これを既存の政党が逆利用したら

そこは無視でいいでしょうけど(笑)



通常ならば、見向きもされないんです。

普通の思考回路ならばね。



でもね、コロナ禍で職を失ったが

既存の政党や政治家を追い出すために

自分の稼ぎを得るために国会議員に

なりますと。



YouTubeなんかで広告収入を得て

資金をつくって立候補しますよ。

宣伝に費用もかけない、ただネットで

同じ立場の人の投票を「期待」する。



もちろん選挙法違反にならないように。

いや、なったとしてもそれでどこか

意識が変わり全体の動き出しの

スイッチが入るかもしれないが。



あるいは、別の人たちをも取り込む。

既存の政党にはもう投票したくない。

ただ、これという人がいないのが常。



ちゃんと選ぼうとする意図を

逆に利用されている構図がある。

だから、逆にちゃんと選ばない。



この状況を意図的に打破するには

彼らをすべて落とすことでしょ。

落とすには投票数がいる。



投票に参加していない人は?

政治に無関心を決め込んで

投票しない人たちは?



恐ろしくたくさんいますよね。

詳しい数字を算出したわけではないが

当選させるくらいの票数は

地域によっては得られるはずです。



既存の政党はこれまでもそうですが

私たちに任せて下さい。

そうアピールして票を集めますね。



でも結果、何もできないまま。

権力に飲み込まれていくというね。

このプロレスを何回も続けていくわけで。



無意識に既存の誰かに投票しなきゃ

有効にならない選挙制度であるならば?



全部の政党にNOである人は

私に投票してください。

というメッセージだけを打つ。

シンプル。



つまり、ちゃんとした人を

選ばなければ政治が立ち行かない。



そう思わされているから、

この人よりはいいと思うからと

消去法で次点が当選していく。



でも、なんにも変わらない。

これの繰り返し。



これを逆手にとってやるならば。

投票する政治家は誰もいません。

という意思表示を票数で示すんです。



正当に投票していれば

政党に投票しなくてもいい。

大きなバイアスに私たちは

引き寄せられなくてもいいんです。



それが無職、無色のFさん擁立ですよ。

この意思表示が多ければ多いほど

たとえ結果が出なくても次の選挙では

変化が起こってくるはずです。



1回だけより、2回目やることで

意味ができることってたくさんある。



コロナ禍で職を失った人や

不遇を囲う人など様々な

「潜在的な負け組」に

カテゴライズされる人が多くいる。



そういう人に立候補してもらって

「職を得る」んですよ。

極端すぎるけど。

氷河期に票が来る。



ひとつの戦略としてはおもしろい。

どこかの補欠選挙でやってみたら?

どんな意思表示を世間がするのか。



たぶん、有権者全員が投票することを

政治家は想定していないでしょう。

ただ、危険は察知するでしょうね。



こうやって、想定外のことを起こすと

世の中は変わる余地は見えてくる。



門戸は開いていますよとしながら

あまり興味を持たれないように

政治家はコントロールしてきたので。



でも、18歳に引き下げられたこと。

ネットでの意思疎通があればどうなる?

爆発的なうねりを投票数として

「計算できない人たち」

が主導権を握る。



既存の政治家やその二世、たまご等は

私がみなさんのためにと、謳います。

いえいえ。できませんよと。

さんざんだまされたじゃないですか(笑)



次点以下は揚げ足取りを巧妙に

アピールしながら票の流れを

引き寄せようとしますね、きっと。

人を票数で勘定するだけで。



政治家を引きずりおろす

チャンスになるし

「政治禍」を終わらせる

チャンスにも見えませんか?



今年はコロナ禍もあるので

違った意味で選挙自体も

別の意識を持っている人が

潜在的に多くいるはずですから。



チャンスは今年。

やるならやらねば。