そろそろ、メディアも含めて

コロナに対して本気で強い言葉で

訴えることもやらなきゃならない。



お願いベースでは

受け手も本気にならぬ。

なんかダラけてズルズルと

締まらない感じになっている。



人が怒る姿勢を示す必要がある。

いまの時代は怒るのが恥ずかしいとか

カッコ悪いみたいな雰囲気もあるが。



冷静に諭そうと言葉で言えば

いいみたいに言うけど

そんな簡単じゃない。



言葉だけでは響かない、

刺さらないのだ。

それは慣れてしまったから。



ちょうど一年前に。

緊急事態宣言だと、サンド伊達。

「コロナ小学校」に強制的に

入学させられたピカピカの一年生。



入学式もない一年生の私たちは

あの頃、不慣れな環境に戸惑い、

怯えながら慎重で、謙虚な姿勢だった。



自粛をしてコロナ小学校の校則に

身構えながらも従順に学校生活に

慣れようと初々しい振る舞いをしていた。



ほんの一年前。

その気持ちをも、忘れてしまう。

慣れというのはこうも

人を変えてしまう。



小学校レベルの初体験ばかりなのに

中学校や高校、大学の2年のように

自分を出すことに遠慮しなくなる。



慣れてしまった生徒たち。

なかなか本気度が伝わっていかない。

本人たちも本気のスイッチが入りづらい。

そうなる顛末も予想はついていたはず。



一度、分別のある大人だろうが

子どもだろうが関係ない。

やっぱ、怒らなきゃならないのでは?



私たちオトナは強い口調で

怒られたり、時には体に痛みを受け

自分が行き過ぎてきたことを

自覚して反省したものだ。



境界線の難しいこの問題であるが

たしかに私たちは怒られないと

気づかない気持ちがあることを

体験的に知っているのは事実なんです。



その後、時代は怒らないようになった。

オトナも子供も怒られなくなった。

怒り方が難しくなってしまったのだ。



世間的にはだいぶ、甘さが際立つ。

糖質制限をしようとしない。

甘すぎないスイーツどころじゃない。



怒ると、怒ったほうが叱られる。

政治家は怒れないだろうなぁ。

総選挙があるから怒れない。



でも、こんなときに

保身を考えずに行動すること

リスクとかを大きく超えた

インパクトを国民に刻印することも

大事な政治家の役割だと思う。



私たちはコロナ大学2年生として

振る舞っているのではないか?

慣れてこなせるオトナのように。



大人がそうして振る舞うことで

子どもも真似をするのだから。



コロナに関しては私たちは

まだ、オトナではないのだと思う。

本当はまだ、小学2年生であって

まだまだ経験が足りないのだから。



もちろんオトナにただ怒るだけでは

反発心を高めるだけになってしまう。



だから、1年前の自分たちの状況を

膨大な映像資料を使ってみせるといい。



小学1年生の私たちが何を感じて

どう行動して何を感じていたのかを。



過去の自分たちを知り、戒めて

行動に移す本気度を高めるような方向へ。

メディアがまずは時間をとって

テレビ等で放送すべきです。



そこに1年生の私たちがいる。

それを2年生の私たちが観て

何を感じるのかを。



ホントはコロナに対しては

まだ、小学生なんだよって。



ただ怒られるだけでは直らない。

大学2年生として無意識に振る舞う

私たちオトナが変わるためには

自分自身で自覚する必要があり

それがもっとも効果的であると思う。



私たちオトナはもう一度

小学生に戻らなきゃならない。

コロナ大学ではないのだ。

コロナ小学校2年生なのだから。