先日テレビで、某アナが某アナに
色気がないですねと発言した。
もちろん冗談のつもり。
しかし、咄嗟のことでそもそも
アドリブの発言だったのでしょう。
言われた同性の年下のアナは
うまい返しができなかった。
ここでうまい返しができるか。
たぶん、すべての分かれ目は
ココだろうと思うんです。
ハラスメントだ!とかって
簡単に言いやすい状況ですね。
でも、よく考えて想像してみてほしい。
うまい返しができないことに
「言われた本人が」
自分でどう感じてるのかを。
すごく大事なポイントです。
本人は準備できないことを
突然やられてしまった。
素の人間力が試されるような
アドリブ的要素の高い場面です。
これってやっぱり経験を積んだり
その場でひらめいたりという
思考回路を意識してつくったり
普段から経験してうまい返しが
当たり前に言える関係性が
できていないと咄嗟には出ない。
つくっておいても出ないときもある。
突然試験されて、結果が出なくても
向上心のある人間であれば、
「悔しいからできるようになりたい」
そう思うはずです。
言われた相手を恨むのではなく
「できない自分」が悔しい。
そして返しができなかった自分を
悔しいと思って成長の糧にする。
その「過程を奪っている」のではないか?
早め早めにリスクを排除する
いまの世の中の流れ。
もしかしたら、人を成長させる
機会を逸してるだけ、奪っているだけ
なのかもしれない。
個々の才能や能力だから
言わないであげる方向で規制?
それで人間、伸びるだろうか?
たしかに難しい局面、難しい問題。
ただ、人間は、どんな年齢であれ
失敗して成長するとわかっている。
しかしなぜだろう。
なぜ、諸々傷ついた人が
本人そっちのけで
声高に叫ぶのだろうか。
失敗をさせないように
失敗から逆算して防ぐ。
そっちにいってしまった。
ホントの意味の失敗から学ぶって
違う意味でしょう?(笑)
片方のパターンだけにしてしまうのは
絶対に間違っているやり方です。
発言した相手は当然
マイナスポイントになるが
うまく返せない本人も
プラスポイントになるわけではない。
両者ともにプラスにはならない。
この意味を私たちはよく考えて
ハラスメント騒ぎをうまく
手なずけていかないと
とんでもない地獄の空気になる。
受けた本人も、うまい返しが
できたほうが「何らかの評価」が
上がるはずです。
これは目に見えない評価であって
数値化できないポイントになる。
つまり他人と比較できない評価。
容易に覆せない人としての大きな魅力。
誰かと違いをつくるためには
大事な、意識すべき点ですよね。
「おそれがある」ものをすべて
排除していく昨今の流れは
決して人をしあわせにはしない。
うまい返しができますか?
そしてできないことは
悔しいですか?
恥ずかしくて避けたいですか?
その気持ちの持ち方次第で
人間が変わり成長するか停滞するか。
大事な局面なんですよね。
うまくできなくてもいい。
うまくできなかった人を
ハズカシメをさせたと
思わせる流れを断ち切らないと。
実は本人のためにもならない。
まったくもって第三者の都合で
これらハラスメント事情は
動いていることが多いのではないか。
鉄棒ができなかったら
出来なくったっていいよ
って論調ばかりが強くなる。
でも本人は鉄棒できるように
なりたいんだ、自分が悔しいんだ。
その気持ちを削いでしまうのでは?
私たちはもう一度、ハラスメントと
叫ぶ流れについて、いま一度
立ち止まって考えてみるべきですね。