無意識にやってしまっている
無自覚になってしまっている
同じチームの下に入って
真似して我慢して従ってるうちに。
年次が上になっていくと
椅子をもらえるみたいな。
「ふたむかし」くらい前の学校の
部活的なシステムの異常さに
身を置いても、仕方ないとあきらめる。
日本の働く社会の構造はこんな状況。
コンポンから見直さないといけない。
いろいろと考えていくとそこに
行きつくんですよね。
やりたいことがあってもお金がない
方法がわからない。
だから、人の下について修業する。
そこから育っていく順番待ち。
こればっかりしていたら
今度は渋滞を起こし始めた。
順番待ちや独立もできずに
不況で淘汰される人も出てきた。
そうでしょ?
順番待っていると年齢だけかさむ。
勝ち組はアドバンテージをキープ。
その「ノコリカス」を争う。
いつしかタイミングを失って
若い才能が勢いよく台頭する。
自分たちの若い頃よりも、
より整った状態で戦力として
機能する状態で出てくる。
同じ椅子を争うと負けますよ。
ふれっしゅ、ですもん(笑)
世代が変わる。
潮目が変わる。
取り残される。
この流れを経験した人もいるだろう。
それでもなお、立ち上がれないのは
やはり、リスクを負えない。
これ以上のダウンは避けたい心理。
ということは、相手にとって
その人は戦うライバル
という存在から脱落して
もう攻めてこないという
安心感を相手に与えてしまう。
仕掛けてこない敵ほど
怖くないものはない。
つまり、逆も言える。
仕掛けてくる敵ほど
怖いものはない。
だから、つぶそうとする。
この戦いの場に出られない人
つぶされた人も大勢いると思う。
その生き残り合戦と称した
人のムダ遣いの蓄積によって
社会が後々、疲弊するのが目に見える。
実際にビジネス上で戦う相手になる。
ここの道は本当にふさがれているのか?
つまり攻めて、仕掛けていく
ポジションにいなきゃならない。
いなきゃといっても
そのポジションがない。
なきゃどうする?
つくればいい。
つくるにはどうする?
お金がかかる。
誰か出してくれる人は?
いない、借りるリスクも取れない。
結果、黙って従うというパターン。
ここを変えるには
国でも民間でもお金を出して
サポート、優遇措置などを
認めてあげることだろう。
全体のための利益の合理性が
上回るようにもっていく流れにする。
実はこれが全体の活性化において
長期的な視点では一番効果的。
そしてJリーグのチーム数のように
勝ち組と戦う相手を増やすんです。
クラブ数を増やすんです。
合併や統合の果てにあるのは
選択の余地のない更なる淘汰。
無意識に従うことしか、しなかった。
無自覚に守ることしか、してなかった。
ここの意識を変えて
起動させることが一番。
チームが増えない企業文化のゴンゲである
野球は旧体制のシステムのイメージ。
ここの大枠をいまでも踏襲している。
Jリーグの浸透によって野球も
地域密着に寄せてきた。
してる感じに持っていってるけど
体質的に根幹は旧体制っぽい思考で
まだ変化していない。
エヅラが変わってみえても
システムは同じだ。
Jリーグもまだ旧体制っぽさは
完全に排除はできていないだろうし。
まだまだ時間がかかる。
チームが増える地域密着を謳ったサッカー。
こちらはどんどんクラブが増え続けていく。
つまり、競争が激しくなり
試合へのプレイヤーとしての
参加者が増えていく。
次々と新しい椅子をつくって
戦う、攻めていく。
大きなイメージとしては新しい時代の
地域の象徴的な存在、シンボルのような。
全国各地の城のような。
地域と主体的な意識で関わる感覚。
旧体制と違う組織、自主性の高さ。
あとはお金の集め方、人の集め方。
人の動かし方など自分たちで模索し
失敗しても続けられる環境をつくる。
なんか変化が見えてこないだろうか?
いまはなんとなく、
世間を覆っている雰囲気がある。
頑張っている人を応援したり
その頑張る相手を観察、評価して
感動した、ありがとう、など
相手に意思を伝えることで
自分自身を満足させていることだ。
満足「している」のではなく
満足「させようとしている」と
考えたほうがその実態に近い。
そこからまた、
なにも変えられない
日常に戻っていく。
オリンピックもそうなる。
また、他人が与える新しい感動を
待ち焦がれ、探し、さまよう。
他人が受ける理不尽に対しては声高だが
自分が受ける現実の理不尽さには閉口する。
どうだ、こんな人たちよ。
生きているって、何かね?(笑)
自分はできないけど
頑張る他人を応援することで
満足を得てるような?
何の代償行為だろうか。
書いているといま
ニュースで流れていた。
就職氷河期世代の10万人が
正社員になったという。
これは言わば野球チームの
補欠の補欠に入れてもらった
というようなもの。
年齢的に残りの人生分で
他の人と同じくらい必要な分
稼げるのか?
安定と言えるのか?
いまの既存の企業の補欠に入っても
おそらくコンポンは何も変わらない。
クラブチームを増やして
自分がレギュラーになれ。
その取り組み自体は勝ち組たちは
自らやろうとはしないでしょう。
自らを脅かす存在を簡単に
許すわけにはいかないから。
自らの立場を盤石にしたうえで
そこを崩さない程度で、泥船で助ける。
あとは自己責任として
ダメなら理由つけて切る。
いまやっているのはこういうこと。
年を取り過ぎた補欠の補欠に置くだけ。
もう強豪チームに在籍する
「だけの」ステータスは
誰にも通用しない時代だし、
そのステータスを活かせる年齢でもない。
確実に活躍できる期間は短い。
命はもう、確実に短いですからね。
味方になるのか、戦う相手になるのか。
これは重要なポイントで勝負の分かれ目。
味方の道は黙ってでも国は、やるでしょう。
でも、勝ち組のアドバンテージを
キープしたままではどのみち淘汰される。
戦う道も意識してつくっていかないと
もっとひどくなるばかりだ。
アイデア、人、知恵、お金。
いろんなものを別の道から集めないと。
わしゃ、クーデターでも起こすんかぃ(笑)
こういう考え方って危険人物っぽいと
敬遠されて、考えてもやれてない人も
たくさんいるだろうね。
動かせない時間だけが、流れていきそう。
でも何も変わらないときは
武力だとか、悪いことしないで取り組む
クーデター「的な」行動は必要でしょう。
大事なポイントはこの意識を
大多数の人が持った状態で
ひとりひとりが主役級の立場で
全体が進み始める機運を
つくりだすこと。
このポイントを誰かのアイデアに
無意識に従うだけではこれまでと
同じ失敗に終わるだろう。
私たち日本人の永遠の課題は
誰かについていこうとする意識を
捨てた時に、ようやく始まる。
そんな気がしますね。